おはようそしておやすみ
冬の二度寝のここちよさに勝るここちよさがあるのだろうか。
ぱっと思いつく限りではないな。書いた小説を褒められたときくらいかな。それすらもあの天国のようなここちよさには適わないかもしれない。ほんとうにきもちいい。
寝起きって感覚が敏感になっているのか、毎朝ニュースを見ては泣きそうになり、音楽を聴いては泣きそうになりしている。とりわけ寝不足のときはそうなのだけれど。
皮膚感覚もそのようで、肌に擦れるシーツや毛布の感覚がすばらしいのなんのって。うっすらくすぐったく、でも意識がぼんやりしていてなんだかとおい。感覚がとおい。清潔なベールに包まれたような感覚のなかでうとうとと意識がいったりきたりしている。あたたかくてやわらかくてすばらしい。
ひとりの二度寝はやはり毛布がたいせつ。肌をやわらかい毛布に擦りつけてねむるのがしあわせすぎる。二度寝どころか何度でもねむってしまう。
ひとりの二度寝もすばらしいのだけれど、やはり、好きなひととの二度寝がいちばんすばらしい。これ以上のしあわせはないのかもしれないと思う。
好きなひととやりたいこと、いっしょにねむること。いっしょにねむれさえすれば、ほかはほんとうはもうどうだっていいのだと思う。映画だって水族館だって、ひとりのほうが集中できるのだし、お酒飲むのはいろんなひとと飲めばいい気がするし。
でもやっぱりねむるのだけは、好きなひとといっしょがいい。ぎゅっと抱き合いながらねむるのもいいし、背中合わせもいい。
二度寝には皮膚感覚が重要。これはゼッタイ。
それじゃあやっぱり裸でねむりたいね。冷たいシーツ、熱い肌という組み合わせが最高なの。
目が覚めてしあわせでまたとろとろとしたねむりに滑り込んでゆける冬の朝のしあわせ……よだれでちゃうよ。わたしはいつまでだってねむっていたい。
寝たり起きたりしているだけで生きてゆけたらいいのになあ。
なんてことをスローバラードを聴きながらおもった。
いつまでも続かないっておもっているから尚更しあわせにかんじるのかもしれない。
今日はひとりでねむります。おやすみなさい。