おやすみなさい

旧nikki desu

一冊の本

ネットで、いろんな人の日記を読む。画面の向こうには書き手がいて生活を続けているはずなのだけど、記事を読んでいると、その人はもう存在していないような気がする。しばらく更新のない日記を読むことが多いからかもしれない。実際に死んでいるのかもしれない。生きていたって死んでいたって、私にそれは伝わらないのだから同じことだ。その人が置いて行った言葉はとある日の死骸かもしれないと思う。

 

ネットでの姿、記事は、そのひとの一部でしかない。分かっている。なぜか切ない。
私はその人がどんな人なのか知らない。どんな髪型をしてどんな服装を好んで、どんな声でどんな言葉を用いて喋るのか知らない。どんな人を好きになってどんな人を憎み、どういう家庭で育ったのかを知らない。それがなぜか切なくもどかしい。

現実の世界で出会う人たちだって大差ない。目に見えるところは分からないことはない。黒い服をよく着ているな、甘い香りの香水が好きなのかな、いつもチークはしないのだな。そんなことは分かる。そんなことしか分からない。表層から内面を予想することはできる。けれどそれが本当なのかは誰にも分からない、誰にも。

 

どういう縁だか偶然に出会って、いつの間にか会うこともなくなるたくさんの人たち。クラスメイト、趣味の知り合い、習い事の先生、バイト先のお客さん、サークルの友人。あの人たちはどんな人生を送るのかなあ。

私はその人が生まれてから死ぬまでのすべてを知りたい。でもそれはとってもむずかしい。恋人のことだって、家族のことだってすべては分からない。

 

バイト先の女の子たちを見ていて、この子たちはどんな大人になるのだろうとよく考える。バイトを始めてお店がオープンしたころ、はじめ、年下のほうだったわたしだけれど、今じゃ年下の子のほうが多い。あーあ、23だもんなあ。そうだよなあ。

あの子たちにとってわたしってきっと、バイト先のひと、くらいの認識なのだけど、それでも私は、この子のじんせいって、みたいのことを考えている。きもいよね。幸せになれればいいなあと思う。なにが幸せなのかとか、よくわからないけれど。きもいなあ。きもい。やっぱキモイな。

世界中のすべての人間の人生を、考えていたことを、ひとりずつ、一冊の本にまとめたい。それを読みたい。神様作ってくれないかなあ。

人のことを知ろうとすると、積極的にそのひとに関わっていかなきゃいけないでしょ。それがきっとキモイってわたしは考えているの。だから、勝手に覗き見ることができるブログとかツイッターとかが好きなんだと思う。