おやすみなさい

旧nikki desu

軽めの懺悔

 わたしはものを知らないんです。分からないことがたくさんあります。だからだいたい自分の感覚で考えていて、たまに本を読むと「すごい解明されてるじゃん!」

「私の考えてることといっしょじゃん!」ってなること多いです。ばかみたい。怒られるかな。

 小説を書いているのに小説もぜんぜん読んだことない。心が痛い。

 大学院生なのにろくに研究もしていません。アッ別に研究系じゃないからいいのかな。よかないね。これからは本を読みます。

 

 余談だけど大学院で何してるの? って聞かれるのほんとうにつらい。それがつらいとかほんとうばかじゃないかと自分でも思う。でもたいしてなんもしていないんだもの。パソコンかちゃかちゃして小説みたいなよく分からんものを書いてるっぽい感じなだけなの。だからフリーターみたいなもの。とか言うのもなんだか照れ隠しなんだよな、マジキモイわ。あーキモイ助けて。

 一日一作仕上げてたらわたしも小説書いてるよ! って言えると思う。でもすごい地道で地味な作業だから自分でもなんだかほんとうかな~? って思うの。わたしがしているのってそんな大層なことなのかな? って。そう考えると、そんな大層なことはわたしはしていない、というか実質なんもしていないことになってなんもしてないよ~~って言うのって本当のところなのだけど。

 絵描いてるひとは絵~描いてるよ~って言うよね。でも小説書いてるよ~ってなんかばかっぽくて言えない。手書きだったら違うのかな、パソコンかちゃかちゃやってるってのが動きのメインだから、なんもしてないよ~(ふだんととくに変わんないよ~)か、パソコンさわってるよ~(パソコンかちゃかちゃやって小説作ってるよ~)って感じになる。

 いっこ前の記事大学院のレポートの下書きで書いたんだけれど、書いた瞬間は「ふ~まあこんな感じか☆」って思ってたけど今読んだら恥ずかしすぎてつらい。なんか自分の無知さとばかさを滲ませていてつらい。あと長すぎて時間内に書ききれなかった。

 

 話は戻って、私は本を読むのがちいっちゃい頃から好きだったので本を読むのって楽しくておもしろくて好きなんだけれど皆が言うように「べんきょう」している感じがしないから、苦しいツライ感じがぜんぜんしないから「これっていいのかな~~」なんて思ってあるときから全然本を読まなくなりました。中学生になったくらいだと思います。ネットしはじめたくらいかな。私、本読むのって娯楽でしかないんです。だから遊んでばっかりいちゃダメだよね~遊びに時間を割くのってきっとよくないよね~って気持ちです。

 でもそれ以外になにかしているわけでもないんだから別に遊んでてもよかったなって心の底から思った。結果、なにしてるかって、すごい寝てる。あとすごいネットしてる。ケータイで、いまはあいぽんで、すごいネットしてる。ネットでなにしてるかって特になにもしていない。誰かが書いた文章をたらたらたらたら読んでいる。

 たまにこうやってひとりごとを言う。ツイッターとか。日記とかブログとか、好きだけどとっても飽きやすいからすぐやめちゃう。ネット上には私が書き捨てたブログや日記が無数にある、使っていないアカウント、もうどこへ行っちゃったか分からないアドレスたち。あーあ。全部ちゃんと保管しておくべきだったって今は思う。パソコン壊れたりケータイを買い替えるたびにいくつものアカウントが迷子になってそのままです。たまに切ない

 生産性がないなあ。ってことを悲しく思う。でもだいたいのひとはな~んにも生産せずにそれでまんぞくしているのだからわたしが生産性がないとかで悩むこたないと思うのだけど。でもそう考えるようにできちゃってるのだから仕方ない、ひとつカクテル作って誰かがおいしいって喜んでくれるバーの仕事たのしいのはきっと小さいサイクルがそこにあるから。別に生産する必要ない。なんか生み出したってそれがくだらなかったら意味ないんだもん。意味ないよ。落ち込むね。

 生産性なんかなくていい、賢く消費すればいいと思う。今はイイカンジで消費消費消費しているコ多いよね。かわいい。イカしてる。賢く消費しているひとは創造性ある、あれ、生産性生産性って言ってたけど生産性じゃないかも、創造性かも。