夏の虫
いつか夢で見た景色のことを思うと胸が痛い。もう忘れてしまった、昔した悪いことを蒸し返されるように胸が痛い。
デパートのなかにある黒い大きな菓子棚、ふきぬけ、まずいパスタ屋さん、それぞれピンクと水色の髪をしたドラァグクイーンのいるメリーゴーランド。おばあちゃんちの鯉の居る池、金屏風、性格のきつそうな痩せた仲居さんたち。小学校の長い廊下、うさぎ小屋。
何で覚えているんだろう。幼いころ出会った風景がすこしずつ形を変えて夢のなかに現れているみたい。
夜、誘われて、何度か寄せてもらっているクラブにショーを観に行った。歌っていいよなあ。かっこよかった。ステージに立つ女の子はつよい、全てがそのステージのためにある、いつもなにをしていても彼女の身体はそのステージのためのもの。ステージに立ってさえいれば女の子は価値がある、「そういうもの」として価値が認められる。
演劇やってたときだって分かっていたはずなのだけど、舞台に小さいも大きいもないなって今日ほんとうに思った。
今日ショーに連れていってくれたひとは、自分は今年中だから、と言う。夏あたりから急にそういうことを言う頻度が増えた。痩せたなとも思った。病気をしているので来年は生きていても病院通いだろうし、なんだか年を越せる気がしない、自分の身体のことだからよく分かるのだと笑う。
わたしはなにも言わないでただ横で微笑んでいる。なに言えばいいのこんな人に。奇跡ってあると思うけれど軽々しく口にできるものでもなし。
ショーが終わって知り合いのバーへ。ショットバーで水割りだけ飲む愚行。続けて、よく寄せてもらう和食屋さん。今日も今日とて食べ過ぎ。この食べ過ぎと毎日大量に飲む牛乳と寝る前に飲むオロナミンCをやめればわたしはとりあえず痩せると思う。
夏の間ご無沙汰していた(正確に言うとバケツで来るかんじの食べ放題の店に一度行ったけどそれはノーカン)牡蠣をいただいて、この店に初めて来たときも牡蠣を食べたことを思い出した。牡蠣食べたいって言って連れてきてもらったんだっけ。
この人とはこの店でも何度も牡蠣を頂いているし、別の店でも牡蠣をいただく。この人と食べるときの牡蠣率がはんぱない。牡蠣が好きだと言ったことを覚えてくれているのだと思う。いつも、牡蠣は? 牡蠣も食べる? と聞いてくれる。
この人はあまりものを食べない。酒ばかり飲んでいる。そのぶんわたしが食べる。酒も飲むけれど。だからこの人といるといつもお腹がはちきれそうにいっぱいだ、なんでもかんでも、食べやー食べやーとわたしに与えてくれる。でもおいしいものしか食べさせてくれない。
誰かのために気持よくたくさんお金を使えるひと。いまどきこんな遊び方できるひとなかなかいないのじゃないかとおもう。どこかお店に行くときには必ずお土産を持ってゆく。皆この人が来ると本当ににこにことする。
わたしはショーの最中ビュッフェの料理を食べていたしバーでも結構つまんだので、今日は和食屋さんではほとんど食事をしなかった。だからお会計の三分の二が土産代だと笑っていた。自分は酒しか飲んでいない。飲みながら、店のひとと話して、店のひとに酒をおごり、あれもこれもと注文して、諭吉さんを何枚も置いて出てゆく。あとで飲んでよとワインも一本おろしていた。わたしにも、牡蠣と松茸の炊き込みご飯、まんまるい紫ずきん、ローストビーフを持たせてくれた。ほんと、どこまで食べさせれば気が済むの。なみだでるよ。
太っちゃうよー。と言ったら、うーん、いいよ。と言われた。
どんな人でもいつか必ず会わなくなるのだし、死んでも死んでなくてもいっしょだと思っているけれど、やっぱりほんとうに死んじゃうとちがうものなのかな。
彼は、目下、携帯の電話が繋がらなくなったら死んだと思ってくれと言っている。