おやすみなさい

旧nikki desu

まだしにたくないので運転しません


私は運転をしない。事故る自信があるからである。おおむね「自己中心的」で「攻撃的」なのが原因だけれど、なんというか、わたし、運転の道理みたいなものがぜんぜん分からないんである。

一応教習所には通った。一応勉強もした。一応合格して免許も貰った。でもぜんぜん分からない。道理が分からない。なに? うんてんって? よくしらないんですけど???

そもそも免許は、親に言われて取っただけだった。自分はなんとなく、ぜったいうんてんできないよ、って自信があった。

わたしは運転必須の地域に住む予定はないし、しばらくは京都にいるつもりだから足はバスと自転車と電車で十分、今取らないのは自己責任なので将来いつかどうしようもなくて必要になったらそのときには必死こいて取ります、と言った。

それでも親が、学校卒業したら身分証の代わりになるし、今ならお金出してあげるし、と押すのでしかたなく、本当にしかたなく教習所に通った。どうせ通うなら、とわたしはなぜかMT免許を取った。今思うとぜんぜんいらない。

親は免許だけ取っちゃえば運転するだろうと思っていたようだけれど、わたしは一度も運転していない。

そもそも実技試験を終えてから筆記試験を受けるまで期限ぎりぎりまで放置していたものだから、そもそも免許を取った時点でブランクが凄まじく、とても乗れそうにないと思っていた。一度、練習と称して父にむりやり10mくらい運転させられたときはもう泣き叫んでやろうかと思った。喚きたてるくらいで代わってもらえたのでよかった。

運転しているうちにしっくりくるようになる、とも思うけれど、その慣らし、をするには運転はあまりにリスクが高く思うの。

わたしは家の車を壊すのも嫌だし人に怪我させるのも嫌だし自分が怪我するのはもっと嫌だ。そうしなければしかたがないのならまだしも、別にしなくてもいいところでそんな負債は負いたくない。だから運転はしない。免許を持っているということもふだんは隠している。

一度にいろんなことができないので、運転は苦痛だった。あっち見ながらこっちで手動かして、とか、むりです。できません。混乱してパニックになる。教習車に乗っているときはいつも半泣きか半ギレだった。

わたしは「お前のせいで死んでやる!  一生後悔しろよ!」タイプであり、意味不明なタイミングでヤケスイッチが入りがちなので、運転には不向きだと思う。教習中も、いつも「わたしはいつでも隣のこいつを道連れにできるんだからな」という気持でいた。

教習所に通っていた期間はひさしぶりにどんよりとした。中学生のときのような嫌な気持を思い出した。できないことをさせ続けられるのってこんなにしんどいんだと。今わたしが平気でいられるのって、できないことはしていないからなのだなとも分かった。今も数学させられたらたぶんものすごくどんよりすると思う。

 

ギターを弾いていたときもそうだった。コード覚えた。譜面覚えた。でもなんかよく分からない。仕組みが分からない。結局最後まで分からなかった。高校を卒業してから、ギターには一度も触れていない。

なんだか「つかめない」「しっくりこない」。でもその理由はよく分からない。想像するに、たぶん情報が少なかったのだ。わたしがわたしの手にギターを馴染ませるには、ただ弾いているだけではいけなくて、ギターの歴史や構造を知ったり、ギターという言葉の語源を知らなければならなかったのだ。

最近になってようやく「生きること」とか「人生」っていうものにしっくりくるようになってきたけれど、それもきっと、情報が集まってきたからだろう。単純なことだった。わたしは人よりたくさんのことを知らなければまともになれない。分かっているからわたしはいつも人を見るしすぐに調べるし本を読む。まんがも読む。音楽も聞く。映画も見る。

 


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あたらしい免許しゃしんをぽすくまさんに年賀状にしてもらった。ソロ仲良し。