おやすみなさい

旧nikki desu

思い出よしよし

 

おひっこしするから今のうちに部屋の荷物を減らしておきたい。

けれど捨てられない。身軽になりたい欲求がはんぱないので荷物は少ない方がいいと思っている。(荷物は減らないので代わりにたまに髪をばっさり切る)しかし同時に、雑多に好きなもので埋め尽くされた部屋さいこうやん? と思っている自分もいる。

ミニマリストという言葉を少し前によく見かけた。いいなーこういうふうに生きることができればさぞや身軽だろうと思った。すぐに旅に出られそう。でもなんかこわい。なんか血眼でこわい。(おこらないでください)

実際、はい私ミニマリストですうって人と会ったことはないからわたしの中のミニマリスト像というのは文字から情報を得た想像の産物でしかないのだけれど、なんかこわい。ドライなかんじ。ドライかつ血眼&栄養失調。栄養失調は違うか。違うイメージが混ざってるか。

ダンシャリ(漢字出ないけど調べるのめんどい)とかも流行ったけれど、テレビにこんまりさん出て来るとすごいこわかったもんね。目がこわかったね。ダンシャリオバケってかんじでしたね。

わたしは荷物が多い。部屋も本棚あたりの渋滞具合はなかなかだし旅行に行くと「そんなに何入れてきたの!?」と言われるしなんなら学校へ行くだけでも「今日泊まり?」と言われる。なにをそんなに持っていて、何故こんなに重いのかは自分でもよく分かっていない。たぶん紙が多いのとポメラが思っているより重いのと、あとへたするとペットボトルの飲料を3本くらい持ち歩いているからかもしれない。

わたしはウェッティに、6月の浴室(むろん浴室乾燥機などない)の感じで生きているので思い出も物もばさばさ捨てられるひとはスゴイと思う。でもこの人そのうち死ぬんじゃないかと思っちゃう。段々物が執着が減ってゆきついには本人さえ、と、安いホラーみたいだな。ウェッティ(6月)はあんがい長生きすると思う。思い出を愛でるのが栄養なので。

 

わたしは思い出をよしよししながら生きている。かわいそうだね、うんうん、分かるよ~よしよし、いいこだね~ってして生きている。

小学校の思い出、中学校の思い出、高校の思い出、大学の思い出、と大きく分けて4つの棚があり、そのなかにこまごまとした思い出を詰めている。たまに取り出しては磨いたり眺めたりして楽しむ。

大学生の思い出、は比較的少ない。ものを作るようになってアウトプットの時期に入ったのだろうと思う。あと大学生活が忙しすぎて、なんか、あんまり記憶がない。いつも「あれやったらこれやらなきゃ~~しんどいよ~~時間ないよ~~逃げ出したいの〜〜」と思っていた気がする。「逃げ出したいよ〜〜」と思っていたのはこれまでいつもだったけれど、やらなきゃいけないこと、は歳を重ねるにつれて段々増えてきたことだった。子供のころは、やらなきゃいけないことなんかあまりなかった。

何がそんなに忙しかったのだというかんじはするけれど、9時から19時半まで授業でそのあと22時まで稽古、みたいな生活を送っていたので、今思うと、まあ、時間はないわな。家遠いので電車は片道一時間半。

皆そんな生活を送っていて、そのなかでバイトしていたり遊んだり外部で公演打ったりしていたのだからすごいと思う。わたしは学校のこと以外ほとんどなにもできていなかった気がする。

わたしは舞台を始めたのが大学生になってからで、自分の中の「やりかたテンプレート」みたいなものが定まっていなかったためひとつひとつが手さぐりで、それがめっちゃ労力の必要な作業だったという部分も大きい。自分の中で型が決まってしまえばある程度ルーチンでこなせたり、その型を壊したりもできるのだけれど。けっきょく最後まで型は定まらなかった。

へたな役者はじょうずな演出でどうにでもなるけれど、へたな演出はじょうずな役者をも殺す。それどころか、照明も美術も音響をも殺す。この責任がすごい。自分一人がしくじればこの座組全員の血のにじむような努力が無価値になる。それは思い込みでも思い上がりでもなく事実だ、というのが四年間で学んだこと。自分にはまだそれを背負う実力がないと分かった。おもしろいものが作れていないという自覚があった。そして今後も、おもしろいものを作れる確証はなかった。自分の成長のために人を巻き添えにする勇気はわたしにはなかった。だから舞台をやめた。

舞台は、私が自己責任でやってんだよ口出すなよ、が通用しない世界だ。自分が死ねば自分に関わるすべてのひとが道連れになる。人のことまで責任とれないよ、というのがわたしの結論だったのだと思う。

だから、舞台やってるひとはすごいなと今更に強く思う。舞台は夢の世界だった。

わたしは独りよがりで自己完結なのかもしれない。でも今、自分がおもしろいと思うものを自分ひとりで作れて、それに対してツッコミを入れてもらうという方法はとても気に入っている。しばらくこのままやるつもり。

 

何かを作ったり書いたりする行為は、思い出をひとつひとつ埋葬してゆくかんじがする。それについて、ていねいに考えて、整理して吐き出す。成仏するといいな、と思っているけれど成仏していないやつもいるっぽい。

全部の思い出が成仏したらやっとそこからがスタートなんだよーって気がずっとしているの。だからはやく成仏させたいのだけれど、思った以上に時間がかかる。成仏させる前に死んでまうかもしれん。


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