おやすみなさい

旧nikki desu

まいごちゃん

 

わたしはよく迷う。方向音痴ってやつなのだと思う。もはや自分の感覚を信じていないのでちかごろは専らGoogle mapさんに頼り切りだけれど、ナビを見ながら進んでもなぜか迷う。何度も何度も通っていても分からない。

出町柳から学校への道は六年目にしてようやく分かるようになってきたけれど学校から出町柳までの道は未だによく分からないし、烏丸のあたりは鉄板で迷う。○○通り、というのをまったく理解していないからだと思う。

 

ちかごろだとDDDギャラリーに行った際に、30分あまり迷った。

太秦天神川駅を出てGoogle mapの言うとおりに歩いたら行き止まりに辿り着き途方に暮れた。裏切り者! って気分だった。Google mapでは道が続いていることになっていたが、現実では民家になっていた。

印刷工場があるのは遠くから見えたので、その工場に辿りつけばギャラリーに近づける気がしていたのだけどいかんせん周囲は民家に囲まれておりどうしても工場に近づくことができない。何のダンジョンだよと思った。わたしは苦手なRPGを思い出していた。

何度もGoogle mapさんを設定し直してどうにか工場に辿り着いたときはもう、何かに祈りそうになった。でもそこからが長かったよね。工場めっちゃ大きかったからね。それをぐるっと一周回るのにもとっても時間がかかりました。

二度とたどり着けないのでは、なんて思って半泣きになりながら到着したら、友人に「どこから来たの? 三分でついたよ(笑)」と笑われた。

どうやら最初の出発がもう反対側だったようなんだよね。なんでだろうね。

 

先日は、もう六年も通っている劇場への道で迷った。

以前も迷って開演に間に合わず泣く泣く観劇を諦めたことがあったのでその恐怖が蘇った。そのときも冬で、夜の観劇で、暗闇の中バスから降りて迷子になり、劇場にもバス停にもたどり着けずもうこのまま死ぬのか……とすら思った。

迷うと言えば、高校生のころ、ライブの遠征でひとりで東京に行き、帰りの夜行バスの乗車場所が分からず半泣きになって探し回り、ライブの余韻なんかもう吹っ飛んでしまったことを思い出した。

最近乗る夜行バスは乗車場所がすごく分かりやすいことが多いのだけれど、そのときは新宿の謎の窪みみたいなところで、道を聞こうにもそんな窪みのことを人は知っているはずもなく、というか道に人もあまりいなく、カップルが通りかかったので縋る思いで道を聞こうとすると彼らは中国人で日本語が通じなかった、という今思い出しても冷や汗が出るような思い出。

そのときも、わたしはこの街で水商売でもしながら生きていくんだ、と思った。覚悟を決めた。けっきょく少し遅れたけれど見つかったので今わたしは京都にいます。

極端だよね。別に一日バスに乗り遅れたからって次の日新幹線で帰ることもできるのだけれど、そのときは高校生だしアルバイトもしていないしお金もないしなにより気持ちに余裕がなくて、あっぷあっぷしていた。

乗車降車が怖すぎるのでこのごろは専らVIPライナーを利用している。

 

学校から今回の劇場に自転車で向かう道は、一年ほど前にようやく覚えた。でも今回は都合上バスで行ったんだよね。

ウェブサイトによると、バス停から劇場までは徒歩十分。でも三十分は歩きました。もちろん帰りも同じくらい迷ったよ。来たバスと違うバスに乗ろうとしていたから、さっきの記憶、は意味がない。バス停ってバス停の地図でしか探せないから不便だ。

感想は嫌いなので言わないけれど、舞台はとってもとってもおもしろかった。たくさんメモってたくさん考えた。でもわたしは、舞台は、生ものは、たとえば人間は、スピードが速くてぜんぜん思考が追いついていないなあと思った。だから文章がちょうどいいのかもしれないと思う。

 

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