2015(はじまり)
大晦日はけっきょく朝まで街にいた。でもおさけは三杯程度しか飲まなかった。酔っぱらいを見ていたら冷めてしまってじぶんが酔う気にはなれなかった。
バーで誰かが持ってきた日本酒を飲みながら、新年の挨拶にばたばたと慌ただしく飲み歩いている知り合いたちをじっと見ていた。たいへんだなあと思った。でもたのしそうだった。
卒業したら遊びに出ることも減るだろうしこういうひとたちとつるむことも減るだろうと思った。そう思うとすこしさみしい。
そういえばここ三日ほどできっともう二度と会わないだろうな、ということがいくつかあった。そういう時期なのかもしれない。わたしもあと三か月ほどでアルバイトをやめるのだし。
ある人は名古屋へ帰り、ある人は海外へ行き、ある人は入院すると言っていた。
帰り道でとつぜん雪が降り出して身体中に雪を積もらせながら駅へ向かった。あまりにとつぜんすぎて、あまりに積もりすぎて、妹と顔を見合わせて笑った。あんなに笑ったのは久しぶりかもしれない。
三日は仕事前に彼と初詣に行こうとしたら、ひとが多すぎて断念した。去年も彼と初詣に行ったっけ、と思う。ちかごろは、まだ勉強ができる高校生や大学生がうらやましいと思う。
まだお正月きぶんがぬけない、いや、別にお正月きぶんなんてなってはいないのだけれど、つまり、お休み気きぶんがぬけない。なんだかねむい。ただひたすらねむい。ふとんに包まっているとうとうとと眠気が押し寄せる。抗いきれない。年末から担当教授からメールの返信がなくていらいらする。学位申請に関わることくらいせめてしっかりしてほしい。しかしねむい。
きちんと仕事しているひとたちを見ると、自分がまだなにものでもないということを再確認する。ほんとうはそんなことどうでもよいことなのだけれど、わたしはそれをよしと思えない。
卒業して就職したってわたしはなにものでもない。だってそれをよしと思っていないのだから。
まだこれからだ、これからだ、といつも思っている。焦ることはないと言い聞かせても、誰かと対峙すると、時にたじろぐ。くだらないからやめたい。なにもの、なんてものがあるわけもないのに。みんなみんなただの人だろ。
知り合いからもらったジルスチュアートのハンドジェルはいいにおいがするし手がさっぱりして気分転換になるのでさいきん愛用している。自分が女子になったきぶんになる。
お節のなかでは数の子が好きだ。昔は栗きんとんが一番すきでずいぶんと執着していたけれど、今はもうそうは思えない。母は今も栗きんとんを多めに作ってくれる。わたしはそれを食べる。食べる。
2015年がはじまった、だからいったいなんなんだ。毎日ちゃんと暮らしてゆこうとおもいます。