長い夢です
妹を二度導き、命を救う夢を続けざまに二度見た。
もっと感謝してくれてもいいよ? という気分になった。
しかもわたしはとっくに死んでいる。
ピーターパン的な感じに飛びながら導いていた。
夢の中だけだけれども、わたし、尊い。よくやった。満足感。
おばあちゃんちの夢も、二度見た。
満足感の高い夢だった。わたしは今幸せだ。
気づくとわたしは小学校の運動場で、小学校時代のクラスメイトたちのなかにいた。どうやら最後の測定のようだった。これまで6年間びしばしと鍛えられてきた成果を今こそあらわす、といった類のものだ。
わたしたちは、エエ最後までこんなことすんのかい、という気分のなか、しかしきっちりと、体によって覚えた間違いのない測度で、50メートルをきっちりと計り、等間隔に印をうち、整列した。
そのラインを利用し、どうやら体力測定を行うらしい。運動場にはさんさんと日が降り注ぎここで走るとか無理すぎ、と勝手に判断したわたしはこっそりと運動場を逃げ出した。友人たちの声が遠くなる。
建物に入ると、そこは、おばあちゃんの家だった。
おばあちゃんの家では、なぜか売店に特設のカウンターを設置し、カクテルを売っていた。(おそらく夏で暑いためだと思われる)
出店のような塩梅で、それらしく言うと、いわゆるキャッシュオンデリバリーである。
言い忘れたが、この売店の店長さんはNさんと言い、わたしが生まれたときから、もっと言えば母が若い頃からお世話になっている人である。
つまり、割とおばあさんなのである。
いや、ものすごく元気で明るい気さくな人で、若々しく、会うたびに恋愛の話などし、従業員さんのなかでももっとも気の置けない人なのだが、それでもおばあさんみは隠しきれない。こればかりはしかたがない。
実際のところものすごくちゃきちゃきしている人なんであるが、夢のなかではずいぶんとおばあさんみが増しており、なんだか仕事がもたもたとしていた。
レジの操作もミスなどしており、おおい大丈夫か、とこちらがはらはらするような具合である。
そんなさなかにレジが故障し、Nさんは慌て、あたふたとしている。
お客さんがどんどん増えるのだが、レジは一向に進まず、列がどんどん伸びる。
皆案外のんびりと構えているが、わたしはこれまで培った謎のサービス精神が暴走し、とにかくお客さまを待たせるなど言語道断、という気分になってくる。
お客さんは暇を持て余し、母に目をつける。
母に年を訪ね、50(くらい)です、というと、えー見えない、若ーい、とワッと盛り上がる。
誰かが若い子カウンターに入れてよーと言い、Nさんは、すみませんうちには若い子はいなくて……と謝る。
そこのお姉さんでいいじゃないか、と客は母を指差す。母は場の空気を収めようと気を遣いカウンターに入る。
しかし、母はカクテルなど作ったことがない。もたもたしていてちっとも列は縮まない上、ほんとにそれちゃんとおいしいですか!? ってくらい目分量なんである。
わたしは我慢できなくなってきた。
ど素人の母よりは、少なくとも少しかじったわたしのほうがカクテルをさばくのは早いだろう。おしゃべりしながらも作れるから少しは気も紛れるかもしれない。若いのがいいならわたしのがもっと若いやろがい! ええやろこれで! という気分になり、もう、やけくそである。
渋る母を押しのけわたしがカウンターに入る。まず、こんだけ混んでいるのだからなんでもかんでも注文を聞いていては永遠に列は縮まない。メニューをある程度絞る。メジャーカップを使ってきちんと測る。
ここは手分けしてとりあえず今できてる列だけでもさばいちゃおう、と母を見ると、カウンターの外であわあわとしている。
あわあわとしながら「迷惑じゃない?」「迷惑じゃない?」とわたしに問うている。
おおおいい! 別に迷惑じゃないけどそれあとでいいから! それより注文聞いて! 5人目くらいまで注文聞いといて! とキレそうになったところで夢は途切れた。
余談も余談なのだが、Nさんの存在というのはわたしのなかでなかなかに異端な存在である。
わたしは基本的に人間関係ぶったぎりタイプなので、幼い頃からの継続した友人・知人というものがほとんどいない。
そんななか、わたしが生まれる前からわたしのことを知っていて、幼いころは年に三度か四度、今でも1年か2年に一度、かならず会い、否応なしに近況を語るひと(前述した通りわたしの引っ込み思案やめんどくさがりなど通用しないほどにぐいぐい迫って来る非常に気さくな人なのである)は極めて稀どころか絶滅危惧、いや思い返せばもはや最後の一人なのであり、これ、失ってしまうのは非常に残念なことである。
見た目元気と言えど、年齢はおばあさんであるのだし、まあ人並みに病気もしているものだと思われる。当たり前のことなのだが、見るたびに顕著におばあさんになってゆくので、わたしはなんだか心が苦しい。
そのうえ、ちかごろ祖母の家では従業員の若返りを図っているらしく、若い社員が次々と雇用されているという。たしかに、館内で若い人を見かける機会がずいぶんと増えたように思う。
そんななか、Nさんは、自分もいつまでここで働けるのか分からない、と言う。おばあちゃんそれはないよ〜と思うのだが、わたしは癖でつい祖母の家、と言ってしまっているのであって、祖父はもう10年以上前に亡くなっており、実際的な経営は長男である叔父に任されている。祖母にとってもそうだったとは思われるが、叔父にとってはまさにこれからを担う商売なのであり、祖母であってもそこに口出しはできないことなのかもしれない。
毎度、話をするたびに、もしかすると会うのはこれで最後かもしれない、と思う。わたしはNさんの連絡先を知らない。
おばあちゃんちの事務所に勤めていたTさんという人がいた。わたしが4歳〜12歳のころ非常に仲良くしていただいた人だった。独身の女性で、30〜40くらいの女性だったのではないかと思われる。
Tさんは、わたしたちが受験やらなんやらで忙しくして、あまりおばあちゃんちに訪れなくなったあいだにいつのまにか辞めていた。と思われる。詳しくは知らない。
わたしは子供のころNさんより誰よりTさんが好きだった。若くてやわらかで優しかったから。顔がいまいち思い出せないが、声だけは鮮明に思い出すことができる。
おばあちゃんちに滞在している一週間ほどのあいだ、毎日毎日事務所に通っては毎日毎日絵を描いたりおしゃべりをした。Tさんはわたしたちの描いた絵を手放しに大げさに褒めてくれ、何枚も何枚もデスクのマットに挟んだ。ゲームコーナーでプリクラを撮ってはTさんにあげた。Tさんはそれもデスクに挟んだ。
一度だけ、Tさんの家に行ったことがある。ワンルームの狭い部屋だったように記憶している。
Tさんは今何をしているだろうか? 結婚しただろうか?
おそらくもう会うことはない。Tさんは子供の頃のわたししか知らない。
わたしはおばあちゃんちが大好きだった。今でも大好きだ。昔は大好きなひとたちが集う場所だったおばあちゃんちが好きで、今は、そんな大好きだった愛しい記憶のしみついたおばあちゃんちが好きだ。切ない。
わたしはTさんを好きになり、長女のRちゃんを好きになり、次女のMちゃんを好きになり、最後に一番好きだった「いとこのおねえちゃん」、Aちゃんを好きになった。2年ほどのスパンで最も好きな人は移り変わり、それ以来は、ずっと「あのころの」Aちゃんが好きなままだ。現在のAちゃんにあのころの面影はほとんどない。彼氏の話をするAちゃんの顔は見たくない。
もちろん母方のいとこすべてが女の子なのではなく、男の子も四人いる。女の子ももうひとりいる。わたしの妹もいる。つまり、Tさんは一時期10人もの子供の面倒を見ていたことになり、年のうち何週間か、ほとんどわたしたちの世話をすることが仕事だったとも言える。
売店の前を通らずに大浴場へ向かうには非常な遠回りをしなければならずそれこそめんどいので、しかたなしにそのメイン通りを歩き、案の定呼び止められ、しかたなしに雑談をしているという部分も昔こそあったのだが、近頃ではわたし自ら時間を合わせて出向き、たらたらとおしゃべりをしている。
時期を合わせて親戚でおばあちゃんの家に集うことはもうない。
皆、あちこちに散って、大学に通ったり働いたり結婚したりしている。
長い時間が経ち、気がつくと、わたしはもう一度、おばあちゃんちにいた。
今度は、わたしの大好きないとこたちが出てきた。母方のいとこだ。(余談だが、父方のいとこや父方の家や父方の祖父母が夢にでてきたことは記憶している限りではない)
なかでもわたしが最も愛していたいとこのお姉ちゃんも、もちろん登場した。
しかし、なんでも彼女と彼女の2つ下の弟は早くボルタリングに行きたいらしく(彼女らがボルタリングをしているということは聞いたこともない)そわそわしていて心ここに在らずである。
なんでも、今日も泊まらずに帰るつもりだったらしい。明日の早朝からボルタリングするそうだ。そんなにボルタリング行きたいか。ボルタリング憎し。わたしはとても悲しい気持ちになった。
悲しくて憎らしくてしゅんとしていると、そのまま夢も縮んで消えた。
不意に、別の場面にいる。
それは、家(実家)に爆弾がしかけられている、という夢だった。
家に爆弾がしかけられており、母とわたしと父は辛うじて家から逃げ出すが、妹がいない。とにかく側にあったワゴン車に避難する。父が再び家に戻ろうとしたところで爆発が起こり、被曝するが命は無事。妹は死んでいるものと思われる。頭が痛い。視界が暗くなる。
再び気がつくと、わたしは死んでいた。
わたしは死んでいて、ピーターパンのようにふわふわと空中を飛んでいた。風景に見覚えがある。家である。
そして、わたしにはすべてが分かった。ここはわたしのいない世界だった。この家は父と母と妹の3人家族で、妹に姉はいない。そしてこの家は今から爆発する。その瞬間のすこし前から、わたしは再びこのときを体験しているのであった。
以前は家の中にいたから見えなかったものが今では見える。何者かによって爆弾がしかけられる。そうとも知らずに家族は帰宅する。
わたしは家の中に向けて必死に叫ぶ。しかしわたしの声は届かない。道を通り過ぎる人たち。その人たちも何も言わない。どうやらわたしは誰にも見えていないようだった。しかしこの家はもうすぐ爆発する。どうにかして家から出て欲しい。そう思って窓をがんがん殴ったりしていると、妹が出てきた。どうやら妹にはわたしが見えるようだった。
わたしは妹にあれこれ話をし、これからこの家は爆発する、両親をどうにかして外に出してくれと懇願し、そのあとの行動を指示する。
妹は急いで家に飛び入り両親に話をするが、両親は全く聞く耳を持たない。
それもそのはずである、いきなりこの家が爆発する、などと言われても、ハア? 大丈夫? てな感じだ。
あまりの妹の必死さに折れたのか、しぶしぶ、といった様子で両親がドアから出てくる。わたしはもう、気が気でない。おせえ! そして走れ! と必死なのだが、わたしの必死さは妹にしか伝わらない。
結局先ほどと同じようなタイミングで門扉を抜け、側にあったワゴンに妹が両親を案内する。
と、そのとき、何を思ったのか父がワゴンを出て再び門扉をくぐろうとするではないか。家の中にはもう妹もいないのに。
だめだ、そう思った瞬間、やはり、同じタイミングで爆弾が爆発する。
ぎりぎりのタイミングで、ワゴンは発車した。
母と妹は無事だっただろう。父は先ほどと同じ位置で倒れていた。父は大怪我を負い血まみれだったが、死なないということが分かっていた。夢はそこで途切れた。
気づくと、わたしは再び空中にいた。
どうやらここは大学だ。こっちの角度からの見た目は、わたしと妹の通っていた中学に酷似しているが、直感で、ここは大学だ、と分かる。
このへんからかなり記憶があやふやで経緯がいまいち思い出せないのだが、妹のいる教室が爆発するということをわたしは知っていた。妹を救う幽霊の姉、二度目の登場である。
昔そうしたように、妹に出会い、妹を使って教室のなかの生徒たちを避難させた。
わたしは満足した。満足したと同時に、どっと寂しさが押し寄せてきた。
家が爆発したあのときから、数年が経っていた。妹の見た感じからすると、おそらく10年前後だと感じる。
妹は、わたしのことを姉だと認識しているようだった。10年ぶりの再会に、はしゃぎ、喜んでいた。
そして、そんな急展開、と思ったが、妹はこのあとすぐアメリカへ発つらしい。
大学を通り抜け、アメリカへ発つ空港に案内した。(なぜ学内に空港があるのか)
大学は、すっかりわたしの出身大学に姿を変えており、煉瓦造りのあの学舎の屋上にはフジロックのステージが設置されていた。(なぜ学内にフジロックがくるのか)
妹と、フジロックだね、などと話をしながら歩いた。このとき、なぜかわたしは妹の横に立ち、確かに歩いていた。
妹は、これからも何度かわたしに会えると思っているようだった。
わたしは、あなたがわたしを必要としたとき、またわたしは会いに来る、というようなことを言った。
妹が空港へ入る前、最後に、強く、長く、妹を抱きしめた。
これで、妹に会うのはきっと最後だと分かっていた。
思えば最後に妹を抱きしめたのはいつだっただろう。
覚えていないので、おそらく5歳か6歳くらいだと思われる。
あるいは、一度もないのかもしれない。
物心つくころにはわたしは既に妹のことが嫌いだったのだ。
妹の背を見送り、姿が見えなくなると、わたしの体は再び空中に浮き始めた。
急いで先ほどの建物に戻る。
建物に入ると、そこはおばあちゃんちに変化していた。
とある一室で法事が行われており、わたしはそれに参加する手筈だったのだ。しかし妹を救ったことによりわたしは法事に遅刻してしまった。
遅れて部屋に入るが、誰も気に留めない。知らない人たちばかりだった。
わたしは部屋のうしろのほうに、ただぼうっと立っていた。
そこで夢は終わった。
今思うとわたしは既に死んでいるのであり、あの法事は、もしかするとわたしの法事だったのではないか。