宝石ごっこ
わたしはきっと人に興味がないんだな。
ずっと、あなたは人に興味がないんだね、と言われてきて、いや違うんですよそうじゃないんですよ、めっちゃ興味あるんです、だってだって、ネットストーカーだし、隣のクラスの女の子のブログとか読んでるし、あのこのことこのこのこと、すごいすごい知りたい知りたい一から十まで知りたいっていつも考えている、と力説してきたし自分でそう信じきっていた。
それは嘘ではなくって、わたしはいつも人のことが知りたくてしかたがない。
その人を読みたい。遺伝子とか記憶とか情報とか、そういうのが一冊の冊子になったような、その人を読みたい。
でもでもじゃあさ、こっち向いた途端興味がなくなっちゃうのってなんでなんだろ。
うえ〜きもちわる〜とすら思えるからふしぎだ。エッそういうのじゃないんです、アッすみませんエヘヘ・・・ってなる。
やっぱりそれって、人と向かい合うのを本当はめんどくさがってるんじゃないかとおもうよ。うんたしかにめんどい。
だからわたしは一方的にぜんぶ知りたくって、知りたいだけなんだな。そうやってアレコレ集めたいだけなんだ。収集癖のいっしゅだよ。
のぞき穴からじいっと見つめていたいんだ。ひみつで。
自分が見られるのはいやだし、わたしが見たいのはわたしを見ているその子じゃないし、
自分が開示しそうになると、自分が心許しそうになると、先の展開にうんざりしてしまう。胸焼け。
みな、いつも、同じことをしている。
これじゃ一生ひとりでしかたないねってかんじがする。このままではね。どうすんだろなわたしは???
インドアここに極まれりってくらい極まっているわたしであるので、放っておくと食料さえ尽きなければ一週間へいきで家にいる。一週間ていうかもうずっと家にいる。外に出るきっかけもなければモチベーションもない。
であるので、きっかけを作ってくれる人の誘いにはなるたけ乗るようにしたい。し、している、つもり・・・。
半年間、いやそれどころか、たぶん、仕事始めてからめっきり友人にも会わなかったし県外にも出ていなかったのに、ここひと月ほどで(わたしにしては)けっこうな数の知人友人と会った。しかも大多数が同年代! めずらしいのな。
家でピザパしたりわざわざDVDを借りてきてリトルマーメイドを見たり一人暮らしを始めた友人の家に行ったり酒を飲んだり県外のクラブに行ったり相席居酒屋に行ってみたり舞台を見たりホビーショップめぐりをしたりカフェに行ったり。雑多にもほどがあるんだけれど。
それで、わははたのし〜って笑って、そのあとぽつっとひとりになったときの真顔になるしゅんかん、
一息つき、ふう、そんで、全身の緊張が抜けて、やっと一人、敵な感慨。
「なんだったんだあの時間って?」感がほんとうに謎なんですよね、どういうじかんだったのかあれは?? みたいな、あの、悪い意味に聞こえると思うんですけどそうじゃないんですって言いたくて、そう思ってるじぶんっていったい、というそれであり、
たぶん、自分のなかでひとと接するってことが結構異常事態なので、のうみそがたぶんたぶん追いついていないんです。たぶん・・・。
さいきん、わたしにとっての人との関わりや思い出は、きっと宝石のようなものなんだっておもうよ。
きれいな宝石を集めたい。
集めて、きれいに並べて大切にしまっておいて、たまに手にとって眺めたりしたい。
なくてもいい贅沢品なんだよな。
いいと思うもの、すべてはただの石ころでしかなくて、でもなんかいろいろ風合いがあってそれぞれきれいだし、愛らしいし、その中でもいっとういいもの、それが人間のはず。たぶん人間は宝石。
宝石は、きっと所有することはできないんだ。
写真を撮るって感じなのかな・・・映像かな・・・絵に描くのか、文章にするのか・・・。どうやって保存する???
所有することができないってことは、やっぱり人間そのものというよりは思い出とか記憶とかそういうものなのかな。
いびつな欠片もきらきらの宝石も、全部あつめて大切にしていたいよね。その箱が、標本箱が、じぶんなのか?
でも時にはわたしも誰かにとって宝石でありたいでしょ。
だからたまにはそういうのもありだな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なんておもうんだよ。
おもうけどめんどくさいんだよ。