おやすみなさい

日記以上の意味も価値もない

コミュニケーション

バスがおおきく曲がり、沓掛口に差し掛かった瞬間景色が変わる。目に緑が飛び込んでくる。洛西ニュータウンに近づいている、いや、このあたりからもうそうなのだろうか。
私たちは、妙に木が多いことに気がつく。バスが道を進むにつれ、ますます確信する。木が多い。計画的に、均等に植樹された木がうつくしく列を成している。電柱が地下に埋められていて、視界をじゃまするものがないからかもしれない。
空が広い。広い空のしたに規則正しく団地が群をなしていて、広い道路の脇にはこれまた規則正しく木が並んでいる。
風に揺れる濃い緑。

ラクセーヌに足を踏み入れて最初に気づくのは、異様と言って差し支えない老人率だ。
入り口入ってすぐのフードコートのほとんどは老人に占拠されている。
やたらと元気な老人たち。トランプを持ち寄り、何時間も七並べをしているおばあちゃんたち。缶ビールを持ち込んで昼間から酒盛りしているおじいちゃんたち。
館内では、杖とキャリーがセットの老夫婦もよく見かける。ベンチで眠っている老人も少なくない。
中年の被介助者と高齢の介助者(親?)の二人連れも目立つ。
電動車椅子で颯爽と移動する老人の姿は一時間いれば三人ほどは見かける。

夕方になると、急に子供の姿が増える。
その多くは小学校高学年から中学生くらいの年齢で、おそらく学校帰りなのだろう、5、6人の群れをなしている。
自撮りをする女子中学生たち、カードバトルをする男子中学生たち。
母親に買ってもらった、どこか似たテイストの服を着た男子小学生たち。
中には学校帰りの息子と待ち合わせをする親子の姿も見られた。

二階はいつも、がらんとしている。どうやら、おじいちゃんおばあちゃんの中でも二階に登る体力(あるいは気力)のない人も多いらしく、一気に人口密度が減る。少し安心するほど。
そう、不思議なことに、平日昼間のラクセーヌは別に閑散としているわけではない。むしろ賑わっている。主に高齢層で。

ダイソーは、20年前のダイソーの雰囲気がある。
おそらく建設当初から変わっていないセンス。建物全体がそんな感じなのだ。
精気を吸い取られる気がするな。
こんなときばかりは、幼い子供を見ると安心する。
洛西ニュータウン全体の随所から、こういう、若い親子を大切にしようとしている姿勢が伝わってくる。
センターコートの積み木広場。
「つみき広場は小学生以上の立ち入りを禁止致します。幼児のための遊び場です。保護者の方もつみき広場の外から見守ってください。」
黄色い背景に、様々なフォント、フォントサイズ、赤、紺、黒のカラーを使って書かれた凶悪な注意書き。その下には水色背景で黒文字の「ラクセーヌからのおねがい」。さらに下にはピンク背景の「ダイソー前にもつみき広場を常設いたしました。どうぞ2Fもご利用ください。」
統一感とは? 目がチカチカする。ここは地獄か。
牛のぬいぐるみを持ち上げる男の子に「ひとりじめしたらあかん」と注意するのはおそらく70代の男性。ラクセーヌの職員なのだろうか、胸元に名札を下げている。
CDショップの入り口に大きく掲げられているのは演歌歌手のポスターばかり。

おもちゃ屋だったそこ(今も一応おもちゃ屋なのだろうか)は、今はちょこちょことおもちゃが置いてある程度で、今はほとんどゲームコーナーになっている。ガチャガチャとUFOキャッチャー、プリクラ機がいくつかあるが、それよりも「つえ」「シルバーカー」の取り扱いが目立つ。いったいなんなんだここは。カオスが過ぎる。
ここが、ラクセーヌのありかたの権化に感じる。ちょっとしっかりして……いや、わたしが言うことでもないか、だってこんなにも賑わっているんだから。20年後はどうか分からないけど。

ラクセーヌを出ると、なぜかどっと疲れていた。
もう一度入り口の前に立って、夜になって光り始めたラクセーヌの写真を撮る。
来たときも思ったのだが、小畑川が近いからか、ここに立つとめちゃくちゃ蚊に刺される。かんべんしてくれと思いながら、半泣きでバスに乗って帰った。
夜のバスって好きだな。窓が大きいから外の暗闇がよく見えて、「降車」の赤いボタンが光るときれいで、外の車のライトもぴかぴか光っていて。びゅんびゅん流れていく車、BGMをつけたくなる。夜のバスはイヤフォンがよく似合う。誰とも喋る必要がなくて安心する。もっとも、あれだけ人がいてもラクセーヌにいる間もわたしは一言も言葉を発さなかった。夜のバスから見る景色ってなぜか冷たそうに見えて好き。偽物みたいにぜんぶつるつるしていて、触れられそうで触れられない。家に帰る。

 

 

 

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