おやすみなさい

旧nikki desu

甘え

 


このあいだの、ノートを見られた話を共通の知人に話してみたら、なんだかあまりこわくない真相にたどり着いた。


その日、直前のゼミでわたしが話していたこと、ニュアンスでぼや~っと喋っていたのであやふやなのだけれど、必ずその時が過ぎそれが「あのころ」になってしまう悲哀を既に孕んだ存在としての思春期(=絶頂期)の女の子たち、みたいな話が気になりそんなあなたは何考えてるのかと気になったのと、そんなバカみたいなぼや~っとした話をぼや~っと進めるわたしに対しての教授の反応が他の人に対する反応と違って、教授がわたしにだけ甘いとかなんとかであるとき話題になり、なんなのこの人、となった、らしい。

えっなにそういうの?  知人は、あー、もしかして、みたいな感じですごい言いづらそうに言ってくれました。

甘いんじゃなくて呆れられてるんだろ。わたしがあまりに頼りないからそれ以上言及しないしわたしがあまりに稚拙だから叱咤されない。

だいいち、取引先の人に甘やかされるのは大変結構、甘やかされれば甘やかされるほどいいと思っているけれど、内部で甘やかされるなんてまっぴらごめんでしょう。成長できない。

なんにせよ不器用すぎだろ、と思う。彼女は10か20か年上で、ときどき突拍子もないところで怒りを爆発させたりする。以前も一度いわれもないことで八つ当たりされ、もうなんなのこの人こわい〜とか思っていたので、なんだかとてつもなく憎しまれているのかと思ってどきどきした。しかし拍子抜けだ〜。すこし仲良くなれるきがした……。でも縮んだ寿命かえしてほしい。

 

 

びみょうな話だけれど、わたしはおっちゃん受けがすこぶるいい。自分で言うのもなんだけれどほんとうにいい。学校ではさておき、間違いなく得している部分はあると思う。正直なところ愛嬌のいいブスだからちょうどいいのだと思う。

幼いころから自分がブスでデブなことは十分理解していたから、愛嬌だけは努力して身につけてきた。

小学生になったかならないかくらいのころ、絵を描いて市の展覧会か何かに飾られた。お母さんとその展示を見に行って、たくさん絵の飾っているパネルの隙間をたらたらと歩いているとき、ふと、あ、自分っていろんな意味でかわいくないなと気が付いた。わたしは滅多に笑わなかった。笑わないというか、表情がなかった。おもしろくても笑わないし、驚いても顔には出さなかった。人見知りな上愛想がないのだ。

それに気付いてからは、笑顔と声の研究に勤しんだ。鏡の前で様々な種類の笑顔を作ったり、声にどのくらい空気を混ぜればいいか、どのようなトーンで話し出しどのようなトーンで話し終えればいいか考え実践した。

なによりとにかくいつもニコニコしていた。笑っていればだいたいうまくいった。ニコニコしていることに集中しすぎて、ほとんど喋らなかった。「うん」と「いいよ」しか発した記憶がない。声のトーンの特訓をしたのにほとんど喋らなかったのでここではまだ特訓は役に立っていない。それでもニコニコしていた。

ニコニコして逆らわないで楽しそうにしていたからか、だいたいクラスのカーストのてっぺんにいる女の子にいつも気に入られた。楽しくなくはなかった。今思うとたいへんなことなのだけど、小学校時代は努力して結果を手に入れ、成果としてはまあ悪くなかった。

「いつも楽しそうだね~」と言われれば「しめしめ、ばかめ」と思ったし、「なんで笑ってるの?」と言われれば「お前に分かってたまるか死ね」と思った。

心のなかはいつも殺伐としていたけれど、自分すら騙せるほどわたしはいつも笑顔でいた。

わたしは愛嬌を身に着けた。愛嬌によってずいぶん生きやすくなったことと思う。
でもわたしにあるのは愛嬌だけだと分かっている。美女でもなければスタイルもよくない。賢くもなければ心が優しいわけでもない。

自分で考え努力して手に入れた愛嬌がわたしの武器だと思っているし、同時に盾でもあり、また、仮面でもある。

わたしはもうしばらく仮面マンとしていきてゆきます。


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