おやすみなさい

旧nikki desu

畏怖と完璧

わたしは幽霊やオバケを信じているわけではないけれど、こわい話を聞いてからおふろに入っているときや、夜中目覚めてトイレに行くときなんか、なんだか不意にこわくなるときがある。

そのときはもう、こわいしどうしようもないし、こわがっているほうが寄ってくると分かっているのにでもこわいしこわいのはしかたがないしどうしようもないし、でもこんなこと考えていると絶対寄ってくる、でもこわい、となって、結局だいたいは下品なことやエッチなことを考えてときをやり過ごす。なぜかオバケってそういうの嫌いなんじゃないかなって思っている。そう考えるとオバケって清潔だ。品もあるかもしれない。

あとになって考えてみると、オバケなんかを怖がっているときはへいわなのだ。空想と戦っているのだから。

 

人に言えないことをしたときや、後ろめたいことをしたとき、人の目を意識しながら、しかしオバケならぜんぜんどんと来い、と思う。オバケは人の目に入らないし、告げ口だってしない。

「結局一番怖いのは人間ですね」みたいなやっすい言葉があるけれども、それってけっこうまじだと思ったりもする。人の目はこわいな。実害あるものな。

そういえば昔は、オバケとだったら分かり合えるかも、なんて思っていたこともある。オバケ、出てきたら話しかけよう。と。オバケの孤独や怨念に共感していたのね。あのころ死んだら確実に化けて出ていたな。

でも今はおおむねへいわだから、オバケがこわい。なぜだか分からないけれどこわい、というか、なぜだか分からないからこわい。

結局モンスターというものは畏怖の心が住処なのだと感じる。

 

 

歳をとるにつれて、いろいろなものの裏が見えてくる。

知人の建てた家に足を踏み入れ、家ってそうか、人が手で作ったのか、木を削って何らかの素材で止めて屋根をのっけたのか、と改めて思う。

そうすると、人が手で作ったものなんかそう信用できるものではないのでは、という思いが頭をもたげる。これまであった家というもののたしかさが揺らぐ。

今住んでいる家は父が母と結婚して建てたもので、私は生まれたときからこの家で住んでいる。デザインなんかもずいぶんと凝って作ったのだと子供のころ父に何度も言われた気がする。

外観もなかなかかわいらしいのだが、個人的にいちばんお気に入りなのはお風呂だ。なんというか、緑だ。全体的に黄緑だ。壁も床も色味のちがう緑色のタイル張りになっていて、浴槽はエメラルドのような透明感のある黄緑色の石かなにかでできている。石の中にはラメが散っている。小物も黄緑で揃えてある。

子供の頃はこれが一般的なお風呂のデザインなのだと思っていたが、小学生のころにはもう、そうでもない、と気づいた。

そのうち、たぶんラブホテルのお風呂ってこんなかんじ、と思うようになった。実際にラブホテルに行くようになって、いや、以外とラブホのお風呂ってふつうなこと多いな、と気づいた。いまだに、うちのもの以上に黄緑でうちのもの以上にメルヘンチック?  なお風呂は見たことがない。

母はキッチンが使いづらいと不満をもらしている。わたしは階段の角度が急だとおもう。

具体的に築何年なのかは知らないが、わたしが24歳なので、この家も少なくとも築24年なのだ。

築24年にもなると、少しずつガタが出てくる。外壁の塗料の色がが薄くなったり、壁がぽこんと膨らんだところがあったり。

それに加えて知人の建てた家、なんて見てしまうと、悲しいかな、わたしをありとあらゆる外敵から守ってくれるはずの家というものが、頑強なもの、けっして崩れないもの、ではなくなってしまった。

そんなふうにして、いろいろなものの作られかたやしくみ、壊れるようすを見ていると、完璧なものなんてほんとにないんだなあと感じる。でもわたしはそれを、それこそを知りたかったのだった。

どんな素材からどんなふうに成っていてどんなふうに壊れるのか。壊れるのか。それがまるっと分かってようやく安心できる。なにに関してもそうだ。人間にしても言葉にしても。わたしは世界に(社会に?)適応してきているのだと思う。

こどものころは、ありとあらゆるものが完璧だった。一分の隙もないまんまるで、付け入る隙がなかった。なにもかも恐れ多かった。

綻びが見えて、そこから侵入して内部を見て、わたしは初めて世界を笑え、世界と対等になれたのだと感じる。



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ところでこの本がおもしろい。