おやすみなさい

旧nikki desu

祭りのあと

外から運動会のアナウンスが聞こえてくる。

 

夜の街が好きだな。暗がりのなかで看板が光る。夜の街と、夜の街でしか生きられない人が好きなんだ。

遅くまで飲むと、翌日がつらい。そういう至極当然のことに気づいたのがほんとうに最近で、それまで気づいていなかったのか、体が歳をとってアルコールを分解しづらくなったのか、分からないけど、たぶんどちらもなんだな。

花を買ったり、ていねいに朝の時間を過ごしたり、そういう生活に対しての憧れはある。清潔な白いシャツとか、窓をあけて掃除機をかけることとか。運動会のアナウンスなんかは無論こちら側。

けれどわたしはずぼらで、水を変えるのもめんどうだし、花の存在だってすぐに忘れるだろう。朝は寝ていたいし、アイロンも持っていないし、白シャツも似合わない。掃除機はかけるけれどしまうのはめんどうだし、それどころか窓の開け閉めすらめんどうなんだ。公園が近所にあるということは知っていてもわざわざ出向くことはないし、無論運動会に赴く理由なんてひとつもない。ペットボトルは口をつけて直接飲むし、洗い物も洗濯物も溜められるだけ溜める。窓を開けるのすらめんどうなので、洗濯物をとりこむことだってとうぜんめんどうで、夜じゅう外に出しっ放しのこともめずらしくはないし、へやに入れたところでたたむのは数日後。

 

 

先日、半年くらい頭を悩まされていたイベントが終わって、ほんとうならようやく一息、というところなのだろうけど、わたしにはなぜか想像していたほどの爽快感はなく、なんだかもやもやと日々が過ぎてゆく。生活ってこういうことなのかな。それにしても実がないよな。

始めに手帳に日程を書き入れたときはずいぶんと先のことに思えて、遠い未来、というかんじだったのに、ここ1ヶ月はほんとうに早かった。

3日間のイベントだったんだけれども、今思い返すと、よくもまあいきなりこんなにいろいろな「やりたいこと」を詰め込んだなとおもう。

 

わたしは終始カメラを持ってあちこち走り回っていたのだけど、偶然その場に居合わせてしまった、興味なさげに聴いていたおじさんたちの手足が徐々に動き出して、最終的に三人横並びで脚でリズムを取っているのを見てしまった瞬間とか、おっちゃんが「これ、気持ちや」とミュージシャンに1000円札を握らせて「兄ちゃんええな! 才能あると思うわ」と言いながらエレベーターに乗って去っていった瞬間とか、親が先に行きたがっているのに子供が立ち止まってじーっと演奏を聴いている瞬間とか、もともと音楽が好きだった自分が「えっこの音楽好き!」と思える音楽に新しく出会ってしまった瞬間とか。思わずぐっときてしまう瞬間がたくさんあった。

一番じーんときて涙ぐんでしまったのが、ドロップバルーンがばらばらと落ちて、子供達がワーッと風船にたかった瞬間に歌われた「アンパンマンのマーチ」のカバー。聴いてるのか聴いてないのか分からないけど、子供たちは楽しそうだし、風船はカラフルだし、音楽もあるし。もともとわたしはこの歌に弱いのでまじめに聞くと泣いてしまうんだけれど、環境とか、声とか、そういうのがすごく「強」くて、これはなんてことだ、とそのときおもった。おもったけど、この後化粧を直しているひまなどない、とおもってしっかりと堪えた。くだらないな。

正直、これは、このイベントってなんなのか、本当に意味があるのか、頭で理屈は分かっていても、実感的にすとんと体におちてくるような、「わかる」瞬間が、あまりなかった。でもこのとき分かったきがした。こういうことなのかも。

 

体ががたがたで脚も思うように動かず、ほんとうに必死で目をひんむきながらバスに乗って家に帰った。ここで座ったら全てが終わると思いそのままシャワーを浴びる。一人暮らしを始めてはじめてこのかた、あんなにも「湯船に浸かりたい」と思ったことはないな。どうでもいいことなんだけど、わたしは古い賃貸の湯船というものを信用していないのでじぶんの家の湯を張れないのだ。このときの疲労度、3日間の屋外フェスにスタッフとして参加して124時間を屋外で過ごし、中2日間をテント泊、風呂は徒歩20分の銭湯、ただしフェス参加者で大行列になるので朝5時半に入浴、もちろん並んでいるので時間制、というときくらいのものだった。なぜこんなにも疲れていたのか心底謎なんだけど。このイベントが終わったら、スーパー銭湯に行こう、とおもった。

全身に湿布をはって、湿布がとれないようにラップをぐるぐる巻きにして、ミイラみたいなかんじで眠った。朝起きたらじっとりと汗をかいていた。



それから今日でまる一週間、やはりというかなんというか、銭湯にも行っていないし、前述のとおり、すっかりぼんやりと時間を過ごしている。たまに朝まで酒を飲んで、後悔したりしなかったり。

ただ、いま、人と会いたい、とおもう。

飲みに行きたい、とおもって飲むことは久しくなかったのだが、いま、とても飲みに行きたい。これは、誰かに会いたいのだとおもう。

 

私たちがやったイベントは、たぶん運動会みたいなものだったんだな。ちがうかな。人にとってはちがうかもしれないけど、わたしにとってはたぶんそうだったな。

今、朝と夜のあいだでぐらぐらと揺れているじぶんをかんじる。欲求はあれど、「ちゃんとする」意味がない。その意味をずっとさがしているようにおもう。

 

 

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