ぜんぶ新しくなる
ねむたさと赤の爪
なぜこんなにもねむいのか、や、眠り続けることができるのか
踵なき世界と憎しみのゆめをみていた
さくらんぼチェリーさん
ゆめゆめ
真夜中のなみちゃんは夢の中にログインしました
わたしはありとあらゆるものの概念を愛しているに過ぎなく、それそのものは愛しているどころか激しく嫌悪しているのかもしれないと思った。
その代表的なものが人間であって、わたしは人間という概念はひどくいとおしく感じるけれど、人間そのものには、むらがあるし、汚いし、どこかでかならず嫌悪感が沸く。しかし概念はそれ混みでいとおしく、愛らしい。
概念とはきっと霞のようなものだろう。
霞を食っては生きていけないと言うが、わたしはきっと霞を食って生きている。
あるいはわたしは生きていたことなどないのかもしれないし、もしかすると、仙人なのかもしれない。
また概念的な話になった。
わたしが人とほんとうに交わることができないのはこういうことが原因なのかもしれない。
それとも、人というものは皆こういうものなのだろうか。
そうだとすれば、人間という概念そのものが崩れることとなるし、人と人との交わりとは、いったい????
人間が、精神的な存在でなくてよかった、とよく思う。
人間は物質であり、薬が効くのは、食べ物が必要なのは人間が物質的な存在だからである。心理的な存在でなく、科学的な存在である、とも言えるのかもしれない。
もしくは、概念的な存在でなく、実際的な存在である、とも。
いや、しかしここで観念という言葉を持ち出してしまうとこの話自体の意味がさらにややこしくなってしまう。しかし実際のところはそうなのかもしれない。実際という言葉を今用いたことで自体はさらに深刻になってしまった。
人間は、触れればたしかにそこに肌触りや体温がある。
しかし、肌触りや体温すら、脳の信号でしかなく?????
わたしはほんとうのことが知りたい、真実が知りたいといつも考えているけれど、となると、わたしは本当という、真実という概念が知りたいだけで真実などちっとも知りたくないのではないかとも思える。
きっと真実の真実はけっこうくだらなく、たいしたこともないものなのだと思う。というこれこそが概念で、では、真実の真実の真実とは????
もう、なにがなんだか分からない???
わたしはいつも、あなた自体ではなくあなたという概念を愛している。
しかしそれは誉められたことではないだろう。
わたしはあなた自体を通してあなたの向こう側を見ていて、わたしはあなた自体に触れながら概念にこそ触れている。
しかしその概念そのものが実体であるのだとすれば?????
それなのに、わたしはあなたがそこに存在しているように思える。
実在とは、いったい何なのか。
わたしには分からないことが多すぎる。分からないことばかり。なにかを分かったことなど、理解したことなど、手のひらに収めたことなど、これまでたった一度だってなかった。
わたしがキャラクターが好きなのは、それそのものが概念だからである。概念こそがキャラクターであると言えるかもしれない。
これは、きっと、事実だ。
わたしはキャラクターを愛でることで、思い切り、思いのままに、おもんぱかることなく、概念そのものを愛でることができる。
言葉は、概念だろうか。
言葉は、実在するのだろうか。
あるいは、概念とは実在するのだろうか。それとも、実在するということすら概念なのか???????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????
わかるってことがわかんない
— 真夜中のなみちゃんヌ (@mayonakanonami) 2016年5月3日
言葉って、文字って確かに在るけど、わたし触ったことない
— 真夜中のなみちゃんヌ (@mayonakanonami) 2016年5月3日
うさぎとかはりねずみは触ったことある
— 真夜中のなみちゃんヌ (@mayonakanonami) 2016年5月3日
ぬいぐるみは、確かに在るし、触ったこともあるし、所有もしている。消費も pic.twitter.com/MHzGAx4A3v
— 真夜中のなみちゃんヌ (@mayonakanonami) 2016年5月3日
ラスト・ステージ
これがさいごの一曲、という夢を見た
ひさしぶりにステージに上がった 学校の体育館のような場所だった
いくつかのバンドが一曲ずつ演奏してはステージを下りていった 皆これがさいごの一曲だった
ギターを弾くのは ステージに上がるのは これが最後なのだとなぜだかしみじみと分かった
やはりわたしのギターの音はちいさい あーあ 今ならうまく弾けると思ったのだけれど
曲はシロップのSonic Disoderだった
イントロのあの音が耳に染みる
実際のところ、ギターは高校を卒業してからは一度もまともに触れていない
ステージに上がったのは、四年前の演劇の公演が最後だった
もう舞台にはあがりたくない あがらなくていい 似合わないから
もうすぐ母の誕生日だなあと思い出して、何を送ろうか考える
なにかものと手紙 いや手紙は誕生日より母の日なのかなあ
わたしはわたしなりの人生をしっかり歩んでいます、だから心配しないで、と思った
母にも言えないことはアホほどあるけれど、それでもわたしは後悔はしていないなあと思う
ああなあんか悪くない、と思えるのはきっとさっき薬飲んだからだ
ニンゲンってカガクだなあ
でもそうやって操作できるのならもうけもん 人間が精神的な存在じゃなくてよかった
物質的な存在でよかったと このときばかりは思う おもしろい 悪くない 悪くないよね そもそもわたしは人間の物質的なぶぶんにこそ救われてきた人間であるし 残念ながら精神的な部分は一切救われて報われていないけれど そのすべてを肉体で物質でカバーして それでなんとかやってゆけるのならば、まあそれもいいや いいのだ
堂々と話せることなんてほとんどないじんせいだ
墓場まで持ってゆくことのほうが多いじんせいかもしれない
でもまあいいや
いろんなひとに少しずつ関わって 少しずつ皆がわたしのだめなところを いけないところを知っているのかもしれない
けれどその人たちが一堂に会してわたしのことを暴露することは未来永劫ないでしょう
もしそんなことがあったとして わたしが人に言うのは 人とするのは 人と共有するのは
ほんとうは誰しもに知れても問題ないと思っていることだけなのだから そのほうがいいのかもしれないともおもったりするけれど
第一回なみちゃん会議
未来永劫行われることのない第一回なみちゃん会議
そのときわたしは少し自由になれるでしょう つまりそんなことは起こり得ない
ありがとうみなさま さようならみなさま
パレードは続きます
通勤電車で 遊んだ帰り道の電車で 不意に自分の飛び込むビジョンを見ながら勝手に体が動かないことを祈るだけの滑稽なパレード
愛しているこの人生を いやそれは嘘
川がかれるまで
ああ洗濯しよ けれど外は雨上がりの曇り空