しゃんはい
なんか、目が乾くしのども渇くし体中に水分が足りていないきがする。のどが痛いのものどが乾いているからなきがする。
水を飲んでものどが撥水加工されているみたいにするする通り過ぎてしまう。腹は膨れるがのどは潤わない。
暖房のせいかもしれないと思う。でも暖房なしではさむすぎる。
保湿はニベアが好きだ。風呂上がりに体中にニベアを塗りたくる。
化粧水も乳液も美容液もちふれの適当なものを使っている。たまにお風呂のなかでパックをする。
授業を受けていて、不意に、先生と会えなくなるなんてさみしいな、と思った。思って、でも、会えなくなったら会えなくなったでぜんぜんへいきなのだ、とも思った。
今まで出会ったほとんどのひとと、わたしは会わなくなった。連絡すらとらない。
小学生のころの親友、中学生のころの仲良しグループ、高校生のころの部活の友人、大学のとき世話になった先生、諸々。大学の先生なんか、同じ学校内にいるのにもう一年以上会っていない。それでも平気だ。いつも、別れ際には、ああさみしい、どうしようもない、と思うのに。
たまに思い出して、ああ連絡とらなければ、めんどうだ、と思う。結局とらない。そうして疎遠になってゆく。
会わなくなってしまうこと、それに慣れてしまうこと、そうしてそのうち忘れていってしまうということがさみしいのだ。
生活の上書き、圧縮されてゆく記憶、暮らしてゆくことに慣れること。
そのようにして自分が誰からも忘れられてしまうこと、そうして自分がいつか死んでしまうこと。
自分が誰かの心の中に残っていればいいなと思う。だから、元彼から「君のことが忘れられなくて」とか「君のことが今の彼女より好き」みたいなことを言われると舞い上がってしまう。舞い上がって、完了した! と思う。
先生がホワイトボードに書いた上海という文字。
上海、シャンハイ、しゃんはい、Shanghaiという響き、いいなーと不意に感じた、ネパール語よりよっぽどしゃらしゃらしている。シルクの手触りのような。ビーズのブレスレットのような。
今まで上海について考えたことはあまりなかった。リッチなにおいがする、金色、赤色、黒。夜景。しゃんはい。
わたしは死ぬまでに上海へ行くことがあるだろうか?