おやすみなさい

旧nikki desu

あかるい未来


元彼のパソコンはいつもYouTubeを開いていた。
元彼の帰りを待つとき、元彼の買い物を待つとき、元彼のおふろを待つとき、わたしはそのYouTubeでよく音楽を聴いた。おまえがアンディモリばかり聴くからトップにアンディモリばっか出てくるじゃんかと文句を言われた。
元彼はアンディモリの小山田さんに似ていたな。どこが、とか、なにが、とか言えないけれど、どこか、なにかが似ていた。
元彼は今はトーキョーでホンを書いている。
人間的に惜しいのだけれど才能のあるひとだと思っているのでいつか大きな作品を作ってくれると信じている。

大学時代いちばん一緒にいた友人は、トーキョーで某劇団の養成所に入っている。先日二個下の後輩がその養成所に受かりましたと連絡をくれて、ああ、みんな自分のやるべきことをやっている、とおもった。
一方わたしは四月から就職する。創造性とはま反対みたいな職場。
わたしってなにしているのだろ?  とたまにおもう。ぞっとする。
でも無駄ではないと信じている。回り道なんかわざわざしたかないけれど、おもしろそうじゃん、と言い聞かせる、回り道こそが思い出を作るのだと。思い出、悪くない、とおもう。ゆっくり行く。
なんだかもう、人に何か聞いたりする必要がすっかりなくなったのだった。わたしがわたしの行く道を知っているのだから大丈夫なのだと分かった。

信じる、ということばを最近使う。信じることができる。信じるものがある。
信じられるものなんてない、と子供のころは思っていた。
でもそれって、自分が、信じたいものがないだけなのだった。信じるに値するものを知らないだけだった。つまりは信念のはなしなのだと思う。
信じるとは、現象ではなく意志なのだから、信じられるもの、なんてのはそもそもどこにもなくて、自分が何を信じたいか、信じると決めるか、なのだった。

だからわたしはもう大丈夫。
問題はありません、問題はありませんと言っていたあのころとは大違いだと自分でおもう。
いつも、早く死のうとばかり考えていたけれど、今はそんな必要ないよとおもう。
未来はあかるい。まッしろで目が潰れる。






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キレイ

大人計画の『キレイ―神様と待ち合わせした女―』をみにいった、

大人計画はわたしの一番すきな劇団でわたしが舞台をはじめるきっかけになった劇団だった、なかでもキレイという演目は初演、再演のDVDももちろん持っていて何度も何度も恋のように観かえしたし戯曲も何度も何度も読んだ、サウンドトラックもipodに入れて何度も聴いて、まるで恋だった。

夜中家族が全員寝静まってからこっそりリビングに降りて、電気を消してDVDを見た。当時は何度見ても途中でかならず涙していた、目が腫れることなんて気にせず泣き腫らして眠った。

私の舞台への片思いは大人計画のキレイから始まっていまだ成就していない。

 

松尾さんの芝居のあのオープニングのすばらしさってなんなのだろう、好きなオープニングベストスリーにいつも『キレイ』と『ふくすけ』は入ると思う。オープニングのあの音楽の鳴り始める瞬間が好きで好きで、何度でも鳥肌がたつ。

 

何度も夢見た「ケガレのテーマ」が鳴りだした瞬間涙が漏れた、舞台でもライブでもわたしはいつもオープニングで泣くのだ、やっとここに来た、出会えた、という気がして涙がでる。

 

たべちゃんの声がかわいすぎるので何度もこまった、たべちゃんバージョンの歌がもっと聞きたくて新しいサントラ売ってないかなって覗いてしまった、なかった。たべちゃんほんとうにかわいい、あんなに声かわいかったの? って何度も戸惑った。歌もすごいいい、なんというかいい。

皆川さんのキネコ似合いすぎだしおおらかで肝っ玉母ちゃんでいいかんじです、サダヲさんダイズ兵おいしいし(もっと歌聞きたかった感はある)でも舞台上になんども宮藤さんさがしてしまった、いないってわかっているのだけれどわたしの恋心がついそうしてしまう。

松尾さんが出てきたときのあの観客席のホワっと湧くかんじなんなのかね、親ごころみたいなね。だいたい松尾さんより年下のひとのほうが多いとおもうけれど。


ミサ→ミソギの名前変更も含め演出全体がシンプルに分かりやすくなっていてよかったかもしれない、もはや照れもない。技術のクオリティが上がってそれに伴って演出もブラッシュアップされてゆく、キレイではそんな過程が見れているようでそれもおもしろい。

わたしは舞台での文字の演出が好きで、今回もやはり電光掲示板の演出が好きだった。再演でもたしかそうだったように思うけれど「ここにいないあなたが好き」の歌詞が電光掲示板にうつるところはゾクっときてほんとうにいい、この歌大好きだな。言っていることがとてもよく分かる。

ああもう考えてることに文章が追いつかなくていらいらする、身体はふべんだ。タイピングの手が追いつかない。 

作品についてなんて語りだすときりがないしそれに手が追いつかないので黙る。感想文でまとめられるものではないからいつかがちのレポートか論 を書くときまでとっておく。

 

そうだ、全員が居直って斉唱している様子が好きで、そういえば『イケニエの人』のオープニングの歌も大好きなんだ、あれがきっかけでSAKEROCKも聴くようになった。

歌に関しても言い出せばきりがない。「ケガレのテーマ」はやはり至上、「ここにいないあなたが好き」、「宇宙は見えるところまでしかない」、「事実は事実」、「カミサマの言うとおり」、「スリーピー小松大魔術団」、「キレイ」。たまらんなあ。「いつか着替えた気がする」も好きな曲なのでもうちょっと長く聴きたかった。

キレイな花が見たくてわたしだっていつも歩いた、「何かある」、そう思わなきゃ生きてゆけないし生きる価値もない。みんな花を探して歩いている。どこかに花があると信じることに意味があるとわたしは信じる。

歌詞を載せることができないのが本当にざんねんなのだけれど松尾さんの歌詞はいつもさいこうだ、『悪霊』の「井上の歌」とかもめっちゃ好きだ。


 

実は、妹と初めて舞台を見に行った。

もともと人と舞台を見に行くことってそんなに得意ではないのだけれど、妹は何年もまえからなぜかキレイを気に入っていて、わたしのDVDを観たり、サントラもipodにいれてよく聴いているようだった。

DMが届いて、まあ行かないだろうと思いながら妹に声をかけると、すぐに行くと返答があった。意外だった。妹は小学校の観劇会で観た劇団四季くらいしか観劇経験がない。

そんなこんなで妹と隣の席で舞台を見た。

前日、妹は「明日私の人生が変わるかもしれない」と言っていた。

劇場から出て、妹は、人生は変わらなかったがいい作品だったと言っていた。

わたしは、そんなに簡単に人生なんて変わらないよ、と言ったけれど、わたしの人生はたしかにキレイで変わったのかもしれない。そんなことはあとになって分かることだし、妹にもいつかそんな出来事が起こればいいなと思う。

 

大人計画の舞台をみると、いつも数日間は恋心の名残で胸が痛い。もう一生キレイという演目が観れないかもしれない、少なくとも二度とおとついのキレイは観れないのだと思うと、なんだか泣きたい。舞台ってかなしい。いつもなにもかも過ぎ去ってしまうしわたしはいつもかなしい。


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わたしたまに変な柄のワンピース着てます。



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サントラ聴きながら帰ったら、サダヲさんの声が若すぎておどろいた。月日の流れを思う。



ふぁんたじ

学位申請審査願を提出し、事務室から出て解放感にみちあふれながら伸びをしたらブラのホックがはずれた。コートを着ていたので直すのもめんどうで、その出来事は4時過ぎのできごとだったのだけれどわたしはいまだにコート着たままブラのホックはずれたままです。あとは口頭試問がこわいだけ。

解放感ついでに残っていたレポートもふたつ仕上げてプレゼンのじゅんびもしてって調子にのっていたらバスが一時間後しかない。こまった。おなかがすいたのでスーパーに寄って帰ろうとおもう。

 

今日は授業でファンタジーについて考えた。

ファンタジーは祈りなんだって。かわゆす。尊カワユス(とうとかわゆす)。

わたしはずっとディズニーファンタジーとディズニーランドとディズニーファンについて考えていた。わたしは個人的にはディズニーは身に着けるのはちょっとしっくりこなくて、それはなぜかって考えるとディズニーは映画があって背負っている物語が大きいからかもしれないと思う。サイズ感が小市民には手に負えないの。

ディズニーランドはまだ分かる、ディズニーはキャラ化して小さくまとめるには余り多いから、ディズニーランド、ディズニーの世界のほうに没入するの。物語の中にお邪魔するイメージで。

そんな恐れ多いディズニーがそれでも好きだとのたまうディズニーファンの方々、さぞかしファンタジー色ギラギラしているのだろうと思いきや、意外とフツウな人が多いという。これがわたしは不思議なのです。ファッションにせよ思想にせよ、平凡を絵に描いたような人がディズニー大好きだったりするでしょう。どういうことになっているんだろう。

一方サンリオは身に着けるものという感じ。子供がキティちゃんのヘアゴムつけたり中学生になったらリズメロにはまったり。サンリオグッズ大好き。なんかちょうどよくて大好き。イモさモサさが心地よいの。

日本産だから? あの日本人になじむかんじ、すごいね。ピューロとかもあの鈍くささがいいのだと思う。サンリオだけでももちろん成立するのだけれど、サンリオと人間、で完成ってかんじ。もっさ。

USJはよく分からないけれどなんかゴチャゴチャ雑多な感じ。なんであんなことに。としまえんは行ったことない。

あとゆるキャラはファンタジーじゃないなと思いました、現実を生き抜く術としてのゆるさ感が出すぎててリアリティはんぱない。つらい。

 

思えば授業もあと数コマしかない。人生最後の授業がおわる。これからわたしはどうやって思いもしない情報を仕入れればよいのだろう? どうやって勉強してゆけばいいの。

本を読むにしたってネットで検索するにしたって、自分の知っているところからしか広がらないのだからざんねんだ。授業みたいに思いもよらない話題が広がったり、知らない単語が出てきてひっしに調べたり、そういう経験をする場をさがさなくてはならないと思う。

バス来そうなかんじがするからおうちに帰るね。あしたは観劇!


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妹はなんとなくパンケーキとムーミンが好き。しかしそれももう飽きた

 


わたしは物心ついたころから漫画が好きだ。はじめて自分で買った漫画は『魔法陣グルグル』で、小学生のころは『かってに改蔵』にはまっていた。中学生になったら岡崎京子魚喃キリコにはまり手当たり次第買い集めた。今でもだいたいそのあたりが好きだ、近年自分のなかでヒットしたのは宮崎夏次系とpanpanyaで、そう、だいたいこのマンガがすごい! に選出されるようなかんじの漫画が好きですね、と思って検索してみたらそうでもなかった。

思えば意識的に少女マンガに触れた数は少ない。楠本まきのKISSxxxxとか好きだけれど。

 

妹がTSUTAYAでレンタルしてきた『きょうは仕事休みます。』を六巻まで読んだ。田之倉くんたしかにかっこいい。でもこんな幸せがあるはずないと思った。このあとどうなるのか知らないけれど。昔からそう思っていたから少女マンガにはあまり縁がなかったのかもしれない。いつも、こんな幸せあるわけないと思う。

 

妹は、自分でもよく言っているが、影響されやすい。あとテレビが好き。

すこし前まで『Nのために』にはまっていて、その前は『ディア・シスター』にはまっていて、その前は『失恋ショコラティエ』にはまっていた。放送が終わり絶望していたかと思いきやこんどは『きょうは仕事休みます。』にはまっていた。田之倉くん田之倉くん言ってた。しかしそれも収まってきた。

妹は基本的に石原さとみが好きで、服装や髪形など、わりと「石原さとみっぽい」ものをチョイスしている。失恋ショコラティエのときは「サエコさん(石原さとみの役柄)っぽい」髪型と服装を心掛け、ディア・シスターのときは「美咲(ry)っぽい」服装を心掛けていた。ちなみに妹は夏ごろ衝動的に髪を切ったため現在ボブヘアーであり、「美咲っぽい」髪型にできないことを心底後悔しているようだった。妹は髪を切ったことをものすごく後悔していて、しばしばロングだったころの写真を見てはため息をついている。

そして近頃は、きょうは仕事休みます。だった。無意識のうちに服装もハナエさん(綾瀬はるかの役柄)を意識しているようだったが、アラサー処女であるハナエさんに憧れるべきところってはたしてあるのだろうかと(主にファッションなどの面で)うっすらと疑問にも感じているようだった。

しかしそれでも「お母さんに正式に「私をハナエさんと呼んでください」と申請しました」という報告があったほどだ。ちなみにその申請は却下されたようだった。

 

また、妹は自分が石原さとみ綾瀬はるかではないことを知っていて、目指すべき場所が違うのではないかとときより悩んでいる。顔の系統がまったく違うのだもの。

せめて吉高ちゃんあたりにしておけば? とわたしは言った。吉高ちゃんがどうとかいうわけではなく、上の二人に比べるとまだ薄顔だと判断したからである。

身内のひいき目もあるかもしれないが、妹は濃い顔でこそないがわりとカワイイと思う。どちらかというといつも集団のなかでちやほやされてきたタイプだ。どこでこうなってしまったのか甚だ疑問なのだが、自尊心が低いわりにプライドの高いめんどうな性格さえなければなあと残念でしかたがない。少なくとも中学生までの妹は今とはまったく違う性格をしていた。そっちはそっちで大いに問題のある性格だったのだが。

ある日突然性格が変わるなんてことがあるのだなあと妹を見ていると思う。ちなみに中学生までの記憶はまったくないらしい。

わたしは徐々に自分の性格が変わっていったことを把握しているので、そのあたりがどういう感覚なのか分からない。けれどたしかに、わたしだって中学生のころの自分と今の自分が表面的にはほとんど別の性格をしていることに気づいている。だから、あのころの知り合いと会うとどうふるまっていいか分からない。

妹は先日、親しい友人に「二等辺三角形みたいな性格」と言われたと笑っていた。ツンとトンガっているらしい。お姉ちゃんは直角三角形だと思う、とも言っていた。直角は守りたいけど三角形、と言っていた。よく分からなかったがなんとなく納得した。

 

ちなみに妹は本も読まなければまんがすらほとんど読まない。唯一まともに読んだといえる『1リットルの涙』で小中高と三回も読書感想文を書いたつわものである。

 今は妹の部屋でぱそこんをかちゃかちゃしているわけだけれども、本棚代わりのピンクのカラーボックスには学校で使う福祉関係の教科書しか入っていない。

 

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からだについて雑考

 

身体について考えなきゃいけないのだけれど先生方身体すきすぎ、学部生のころも何度か身体についてのレポートを書いたけれど院生になってからももう三度目です。

これまでカントールの死の教室やダムタイプのS/Nはかなり乱用してきたしゾンビについても言及しまくったししかし言葉については修論にまとめたいということでお茶を濁す程度の新ネタをさがしている。

 

身体と物語についてと言われてまず思い浮かぶのは「アイドル」、アイドルは身体と物語 の物語。アイドルはまず物語が売り物だ、次に身体が売り物。そしてその売り物の物語がアイドルという物語。

そこから連想して次に「整形」。アイドルは整形するし無論整形には物語が付き物だよね。理由がなきゃ整形なんぞしないもの。整形。「変身欲求」。変身欲求からは身体改造とかも思い浮かぶけれど一番はサイコ、サイコ的殺人者の共通点は変身欲求にある。他者になりたいという想いを強く持つことの孕んだ自己否定による不安とそれによるアイデンティティのゆらぎ、他者になるということは狂気の沙汰。

 

アイドルと変身欲求から、「きゃりーぱみゅぱみゅ」。イマっぽい、の権化みたいなきゃりーきゃりーはいわゆるアイドルじゃないね、アイドルの物語は背負っていない。でも極めて偶像的。アイドル性を否定する(衣装も態度も。堂々と交際宣言してみたり)ことでイマっぽさ全開、原宿のアイドル(のように鎮座している。真実は不明)。注目したいのは身体の誇張モチーフ、例えば紅白の衣装、上半身に睫毛バシバシの巨大な目、鼻、口がついている。もしもし原宿のジャケットは口が誇張され裂けている。

身体をあちこちに伸ばし、散らし、きゃりーはどこにでもいるけれどきゃりーは何者でもない。見られるきゃりーは見るあなたを既に見ている。連想するのは「身体拡張」。マクルーハン。しかし思えば身体はあまりに融通のきかないメディア。ではiPhoneはこれからのわたしたちの身体たり得ますか?

 

岡崎京子まんがにおける身体、が考えやすいのかもしれない、となれば当然「ヘルタースケルター」は外せない。アイドル、整形、変身欲求、目白押し。都市。あとリバーズ・エッジにおける死体、Pinkにおけるユミちゃんの身体あたり。ユミちゃんなら「売春」。ヘルタースケルターにも売春的枕シーンあるけれどユミちゃんの売春とりりこの売春はずいぶん違く見える。岡崎京子まんが、消費する身体と消費されてゆく身体。

 

身体とはいったいなんなのか、ものとしての身体、イメージとしての身体。先天的に与えられた身体と後天的に自己決定される身体。シュルレアリスムの夢を見る。

 

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てきとうな店でダウンっぽい黒いコートを買ったら暖かすぎて手放せない、でもその直後にヴィヴィアンでカワイイコートを見つけてしまって、でもさっき買ったのと同じ黒だし、なんなら他にも黒いコートは持っているし、なんか買えない、でもカワイイほしい、でも買えない、もう3日悩んでいるが既に売れてなくなっている気がしている、いまはあとパーカーがほしい、本は日輪の翼を読んでいて、バイト中におすすめの映画は? と訊かれてひなぎくと答えた。明日から授業。




夢をみた。

高校のときの友人で、一年で学校をやめてしまって、卒業式にはスーツを着て来てくれたけれどそれ以来会っていなくて、ずっと会いたい会いたいと思っていて、でもちっとも消息のつかめない友人が夢に出てきた。

友人は、すごく身長が伸びていた。再会をよろこんで抱き合って、見上げると、ああ、思っていたよりかわいくなかったな、老けたなこの子も、と思った。友人はたしかずいぶんとかわいかったはずなのだが、今はもうその顔もはっきりと思い出せない。

この一年でも何度もこの友人の夢を見た。何度も夢のなかで再会する。けれど実際にもう一度会える気はちっともしない。

 

また、夢をみた。

髪を染めた。思いがけずピンク色になってしまって、これではバイト先の年下の女の子とかぶってしまう、と慌てた。でもその色味じたいは気に入っていた。髪を触っていると、前頭部がつるっと禿げていることに気がついた。やべえ、わたし禿げた、と思ったけれど、今そうなっていたように毛で隠せばよいのだと分かっていたのであまり動揺はしなかった。ややかさついた頭皮を撫で撫でしていた。

 

もう一度、夢を見た。

京都駅だった。わたしは帰りたかった。帰るためには、27.5番線のホームに来る電車に乗らなければならないようだった。27.5番線、というアナウンスを聞いて、あ、わたしこの27.5番線知ってる、と思った。27.5番ホームに辿り着くには、もんのすごい坂になっている道を通らなければならないのだった。それはそれは、もんのすごい坂なのだ。ホームへ向かうと、やはりもんのすごい坂があった。しかしここを上らなければ帰れない。わたしは必死で坂を上った。巨大な滑り台のようだ。つるつる滑る。手のひらと靴の裏で張り付くようにしてどうにか坂を上ったが、ぎりぎりのところでわたしは滑り落ちてしまった。帰れないのだと実感した。

 


夢の世界に帰りたい、とちかごろよく思う。帰りたいよーたすけてー。


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2015(はじまり)


大晦日はけっきょく朝まで街にいた。でもおさけは三杯程度しか飲まなかった。酔っぱらいを見ていたら冷めてしまってじぶんが酔う気にはなれなかった。

バーで誰かが持ってきた日本酒を飲みながら、新年の挨拶にばたばたと慌ただしく飲み歩いている知り合いたちをじっと見ていた。たいへんだなあと思った。でもたのしそうだった。

卒業したら遊びに出ることも減るだろうしこういうひとたちとつるむことも減るだろうと思った。そう思うとすこしさみしい。

そういえばここ三日ほどできっともう二度と会わないだろうな、ということがいくつかあった。そういう時期なのかもしれない。わたしもあと三か月ほどでアルバイトをやめるのだし。

ある人は名古屋へ帰り、ある人は海外へ行き、ある人は入院すると言っていた。

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二日は妹と初売りに行った。毎年二日は妹と初売りに出掛けている。それも今年で終わりなのだと思う。それにしてもひとがものすごい。20分並んでもんじゃを食べて帰った。

帰り道でとつぜん雪が降り出して身体中に雪を積もらせながら駅へ向かった。あまりにとつぜんすぎて、あまりに積もりすぎて、妹と顔を見合わせて笑った。あんなに笑ったのは久しぶりかもしれない。

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三日は仕事前に彼と初詣に行こうとしたら、ひとが多すぎて断念した。去年も彼と初詣に行ったっけ、と思う。ちかごろは、まだ勉強ができる高校生や大学生がうらやましいと思う。

 

まだお正月きぶんがぬけない、いや、別にお正月きぶんなんてなってはいないのだけれど、つまり、お休み気きぶんがぬけない。なんだかねむい。ただひたすらねむい。ふとんに包まっているとうとうとと眠気が押し寄せる。抗いきれない。年末から担当教授からメールの返信がなくていらいらする。学位申請に関わることくらいせめてしっかりしてほしい。しかしねむい。


きちんと仕事しているひとたちを見ると、自分がまだなにものでもないということを再確認する。ほんとうはそんなことどうでもよいことなのだけれど、わたしはそれをよしと思えない。

卒業して就職したってわたしはなにものでもない。だってそれをよしと思っていないのだから。

まだこれからだ、これからだ、といつも思っている。焦ることはないと言い聞かせても、誰かと対峙すると、時にたじろぐ。くだらないからやめたい。なにもの、なんてものがあるわけもないのに。みんなみんなただの人だろ。

 

 

知り合いからもらったジルスチュアートのハンドジェルはいいにおいがするし手がさっぱりして気分転換になるのでさいきん愛用している。自分が女子になったきぶんになる。

お節のなかでは数の子が好きだ。昔は栗きんとんが一番すきでずいぶんと執着していたけれど、今はもうそうは思えない。母は今も栗きんとんを多めに作ってくれる。わたしはそれを食べる。食べる。

2015年がはじまった、だからいったいなんなんだ。毎日ちゃんと暮らしてゆこうとおもいます。

 

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