おやすみなさい

日記以上の意味も価値もない

友人と夏

友人Yが来ていた日記。

なんだか毎年年末と夏あたりに京都で会っている気がする。 ということで今年も夏がはじまる。

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7日(木)

彼女と、共通の友人Sと、三人で夕方6時半頃木屋町で待ち合わせ。雨の予感がつよい。元立誠小のあたりを歩いている時点でぽつりぽつりと雨が降ってくる。カウンターのみの小さな串カツやに入り、飲み、食べまくる。とうもろこしの揚げたやつがおいしい。とうもろこしってのはなんでこう、茹でただけでもおいしいし、天ぷらもおいしいし、串カツにしてもおいしいのか。甘いよね。

三人とも大学時代の同期なのだが、会うとなんだか昔の話ばかりしている気がする。しかも毎回同じ話をしてんだ。おかしいよな。昔の話か男の話ばかり、あとたまに仕事の話もして、なんだこのトークテーマ、と思ったのだが、人生まわりというものが結局そんな事象ばかりなのでしかたがない。花の話なんかしないし、夢の話をするようなタイプでもなし、共通の趣味があるわけでもない。それでも一緒にいるのだから、生活のなんでもない話をして、それがたまたま昔の話、男の話、あと仕事、てな具合なのだな。そう考えると悪くない。ぜんぜんいい。

Sとは数ヶ月前に会ったばかりだったのだが、彼女、ここ数年は宝塚にはまっていて、会うたびに化粧が濃くなってゆく気がする。

Yは大学に入学して初めて会ったときには「ギャルだ!」という印象だったが、今はあまりそうは思わない。カジュアルになったのか。化粧も薄くなった気がする。カラコンはまだ辞めていない。

そのあと二軒ハシゴして、3時ごろ帰宅する。最後の方はセックスの話ばかりしていた気がするのだが、私にはそんなに話題がない。去年は二人とも彼氏がいなかったが、今年のYには彼氏がいた。ところが「彼氏のこと好きじゃない」と言っている。「好きな人とは連絡とれない」。難儀だなあ。

明日起きられたら岩盤浴に行こうと約束して就寝。

 

8日(金)

20回くらいアラームを鳴らして昼過ぎにようやく目を覚ます。昨日結構酒を飲んだ気がするのだが、思いの外二日酔いでない。わりと元気。いける。

ラーメン食べよう、という話になり、せっかくだからと一乗寺の方までゆくことに。すっぴんにブラトップのキャミとワンピース一枚だけ着て、Yの車に乗って向かう。Yは運転が上手だ。いつも京都へは車でやってくる。

一乗寺は思いの外遠かった。学生時代はいつでも来られたはずなのに、ほとんどラーメンを食べに来た記憶がない。一乗寺に来るときはだいたい恵文社へ来るときだった。そういえば恵文社を教えてくれたのは大学に入ってはじめて付き合った人だった。部屋が暗くて料理の上手な人だった。私は一度も彼に料理を作ったことがなかったが、彼は私が彼の家に訪れるたびに料理を作ってもてなしてくれた。私が好きだった杏露酒もいつも用意してくれていた。私は彼の作るオムライスが好きだった気がする。

極鶏へ向かう。いつもはめちゃくちゃ混んでいるのになぜかすんなり入れてしまった。ラーメンとたまごかけごはんのセットを注文するも、予想以上にお腹いっぱいになり終盤二人とも無言で食べる。

ぽつらぽつらと雨が降っている中、スーパー銭湯へ向かう。スーパー銭湯へ着くともう4時前だった。

岩盤浴、好きなのかもしれない、と行くたびに思う。いつか妹とスーパー銭湯に来たい。妹と岩盤浴に入り、妹と風呂に入り、上がったら隣で髪を乾かして、すっぴんのまま自販機で買ったジュースを飲みたい。帰ったらそのままだるい体を抱えてひと眠りしてたい。

お互いに9時ごろから予定があったため7時には出ることに。YがオロナミンCをおごってくれた。窓の外では雨が鳴っている。Yはブラックコーヒーを買ったつもりが微糖だったらしく、これは明日の朝飲む、と言っていた。

帰り道、車に乗っているうちにどんどん雨が強まってくる。家に着く頃には土砂降りになっていた。

 

9日(土)

Yは早起きして友人の結婚式へ。私は二度寝する。だるい。

起きて冷蔵庫を見ると微糖のコーヒーが入ったままだ。

Yは午前4時ごろ帰宅。カラオケをはしごしていたのだそう。元気だな。知り合いから二度着信が入っていたが知らないふりをする。私は1日寝通しだった。

 

10日(日)

昼過ぎに目覚め、Yは学生時代の友人Aとランチへ行った。私は洗濯をする。

洗濯機を回しながら携帯ゲーム周回。つかの間の日常という感じ。

夕方ごろ、YAからラーメン食べよ、とお誘いがあり、かんたんに身支度をして外に出る。もともとはランチにも誘われていて、断ったのに、結局一緒に食べることに。去年と同じ、Yが学生時代働いていたラーメン屋さんの、今年は本店に行った。Yは「今日のはおいしい」と言っていた。にんにくを潰して入れて、酢を入れて食べるとめちゃくちゃおいしい。去年教えてもらったこと。
Aは赤ん坊を連れていた。私はほとんど赤ん坊に触れ合ったことがなくどうすればよいのか分からない。触れていいものかすら分からない。ところがYはかんたんに赤ん坊に馴染む。そういうところがYのすごいところだと思う。

帰宅してテレビを見たり漫画を読んだりして、そのうち眠った。この日も雨が降っていた。洗濯物は干しっぱなし。

 

翌日の昼ごろ、Yはすっぴんのまま帰って行った。靴を四足も持ってきたのに結局二足しか履かなかった、と言っていた。いつものように、ごろごろとたくさんお土産をくれる。ひつまぶしのお茶漬け、味噌煮込みうどんのレトルト、あとなんかおいしいパン。

Yと過ごしていると、いつも永遠に夏休みみたいな気分になる。Yが来るときはいつも湿度が高い。Yが帰り、ひと眠りすると、現実が帰ってくる。

私はシャワーを浴びて、化粧をして、いつものように家を出た。雨は降っていない。

 

▼去年のYが来た日記

mayonakanonami.hateblo.jp

 

真顔の私

 

なんでわたしは真顔なんだ? そうなんです、わたしって真顔の人種なんですよ。うちのお母さんだいぶ善良で、そんなこと言うかな? ってかんじなんですけど、それでも幼稚園児の時分に「ほんとかわいくない」って言われた記憶があるくらい素真顔なんです。素真顔。ただの真顔より本質的にもっと真顔なやつ。わかる?

今は人並みに笑ったりするけど、それでもヤッパ根っこが真顔だから、根っこでは基本的に真顔で「ハ?」とか「で?」とか考えちゃう。悪いけど。

いやぜったいそんなこと口にせんよ? いつもニコニコしてやさしくてホント何言っても笑うね〜たのしそうでいいね〜っていうのがわたしのキャラなので(この一文は放置したいので句点つけないことにします)

 

他人に対する殺意の波動がつよいんだ。べつに殺してえ〜とかおもってるわけじゃないのは言っておきたいんですけど、「おまえ??? おお???」っておもってるときの気持ちが鈍器なの。

関係あるのかないのかわかんないけど、と言いながら自分ではぜったいあるなとおもってるんですけど、わたしが描く絵もわりと真顔です。真顔で不遜な顔が好きなんです。そういう顔にリアリティをかんじる性質ってこと? わたしが真顔だから。単純かよ。

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わたしは第四の壁を壊されるのがだいきらいです。芝居の客席いじりとか舞台に客上げるのとかフラッシュモブとか。

これなんだろ、なんでなんだろって考えてたんですけど、ひとまずの答えがでました、これ、

お前のプレイに巻き込むな感

お前のプレイに巻き込むな感

そう。それ。

わたしをお前のモブにするなよって。人権を侵害されているかんじがつよいんですよね。

 

グループラインの退室芸とかまじ茶番なんですわ。なんで真顔で茶番を演じられるのだろうか。それわたしもほしいよそのハート。その鈍くささと自分が自分の世界の主人公であるという根拠のない圧倒的自信があれば人生ってけっこうたのしいだろうな。

そんでグループラインの退室芸、まじめにとりあってるのたぶんわたしだけでしょこれ。みんな「ウケる(笑)」とか言いながら適当に遠巻きに見てるんだけど、わたしは「ウケる(笑)」と口で言いながら心のなかで憤怒してるから。「全然ウケない(怒) ただただウザい(怒)」。余裕なさすぎん? なにこれわたしの心狭小住宅…? うさぎ小屋? 自分で言っててアホらしくなってきた。ウケる。ぶんしょうにするのってたいせつだね。おうち帰ろ。

 

 

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姉と妹

 

 

 

ちかごろ知り合いの娘さんたちと関わることが多くある。

彼女らは小学生の四年生と二年生の二人姉妹だ。

この姉妹、両方とても人懐っこく、愛嬌もあってかわいらしく、しかも賢い。人をよく見ている。名前もすぐに覚えるし、その人それぞれの癖なんかもよく覚えていて、それで一笑い取れてしまう。すごい。

 

ふだんは二人してキャッキャとじゃれあっているが、よくよく見ると妹のほうが自由で姉が少し配慮しているように見える。

私はどうしても姉に感情移入してしまう。

年齢も違うのだから当たり前かもしれないが、それでも私にはお姉ちゃんの気持ちがよく分かる。

自分が気に入っている、仲良くしている人を妹に横取りされるのが一番嫌だったり、気ままに振る舞う妹が羨ましくてちょっと妬ましかったり。

気にしないようにしているけれど、絵画や書道、作文なんかの表彰が多いのを妹が自慢してくると妙に癪だったり。

ぜんぶ私に覚えのあることだ。だからこれは私の話だ。

 

二人きりでこっそりと話しているとき、お姉ちゃんがぽつりと話してくれたことがある。

昔、お母さんと妹と三人でショッピングモールへ買い物へ出かけたとき、お母さんに「ここで二人でちょっと待っていてね」と言われたのに、妹は勝手にどこかへ行こうとする。

妹は一度迷子になったことがあって、こんな大きなところで放っておいたら確実に迷子になってしまうだろう。

でも自分が今ここで妹を追うと、お母さんからの言いつけを破ることになる。自分も一緒に迷子になるかもしれない。

大声で妹の名前を呼ぶけれど、妹は気にもかけずに進んでいってしまう。そのうち姿を見失う。

焦りと不安で涙が出そう。

そのうちお母さんが戻ってきて、妹はどこへ行ったのかと問う。そんなことは私が知りたい。私だって知らない。

不安で心配で、でも必死で涙をこらえて母とようやっと妹を見つけてみると、妹はけろっとした顔で笑っている。母は怒っている。なぜだか私が泣けてきた。自責の念と安堵感で涙が出る。

なんでだろ? って笑って言っていたけれど、胸が締め付けられる思いだった。

わかる、わかるよ。妹って勝手だよね。お姉ちゃんってしんどいよね。

私も何度もこんな経験をしてきたように思う。

世の中の姉全員がこんな思いをしているのだったら、私は姉妹の姉がいじらしくて愛おしくてしかたない。

 

自分が大人と呼ばれる年齢に至って、子供と呼ばれる年齢の女の子と話していて気づく。小学四年生ってこんなに子供なんだな。

私はその頃にはもうすっかり大人になった気でいた。でもこんなに子供だったんだ。

もっとすなおになんでも言えばよかった。ゆるされたのに。

今もきっとそういうことを繰り返している。いつだって今が一番若いのにな。

 

 

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本屋の彼女のこと


近所の本屋に、学生時代同じバイト先にいた女の子が働いている。

私が大学三回生から院を修了するまで三年間働いていたバーで、彼女も同じ時期から二年間ほどそこで働いていた。

彼女はわたしより二つか三つ年上で、でもそれ以上に大人びて見えた。フリーター、という響きが似合わない女性だった。

彼女は声がきれいで、発声がしなやかで、言葉遣いもていねい且つ美しく、肌がとても白い。

その異様に白い肌に、明るい金髪のワンレンボブがよく似合っていた。

ある日彼女は金髪だった髪を真っ黒に染めて、念願だった本屋でバイトを始めることになったと言った。

それからシフトが減りはじめ、しばらくして彼女はバーを辞めた。

いつものように送別会をして、しこたま飲んで、またね、と別れてそれきりだった。

そういえば、と思ったのは、私が就職をして一人暮らしを始めたときだった。

駅前の本屋、たしかここが彼女が働いていた本屋だった。何度か足を運んでいるうちに彼女を見かけ、まだここで働いているということがわかった。声をかけることはなかったが、その本屋へ行くたびに、ああ今日はいないなとか、今日はいるとか、そんなことを思っていた。

気づいたらそれから三年が経っていた。

彼女はまだその本屋で働いている。声を聞くとすぐに分かる。今日も、私が立ち読みをしている棚の向こう側で「これ、ノンフィクションの棚の補充でいいんですよね」みたいなことを言っていた。

彼女はおそらくわたしの存在に気づいていない。わたしのことを覚えているかも微妙だし、覚えていたとして、しょっちゅう本屋に来ているとは思わないだろうし、こんなに近所に住んでいるとも思っていないだろうな。

本屋に行くときはたいがいすっぴんで部屋着みたいなかっこうで行くので、気付かれないほうがうれしいんだけれど、たまに、こっそり声をかけてみたらどんな反応をするんだろうと考えることがある。あ、今声かけてみようかな、なんて思うこともある。

わたしはたぶんもうすぐこの駅を離れるので、彼女と相対することはもう二度とないんだろうな。そう思うとすこしさみしい。

だいたいさよならというものはいつも突然で、それきりのものだけれど、わたしはずっと、あのときのさよならの余韻をジワジワと味わっていたのだなと思った。

 

 

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GWの子犬

ペットショップで子犬を見ていた

ゴールデンウィークの真っ只中、家族連れに囲まれながら子犬は跳ねたり鳴いたりしている

一匹の子犬が寝入る瞬間を見ていた

ベッドに寝転び目をうとうととさせ、徐々に眠りにおちてゆく

まばたきをするたびにまぶたが重くなってゆく

それを見てもう一匹子犬がやってきて、今にも眠りにつかんとしている子犬に寄っ掛かるようにしてひとつのベッドに収まるやいなや、こちらもまたうとうとと眠りにおちてゆく

閉じた目、少し湿った鼻、上がった口角、なんかぜんぶがかわいい

動物ってかわいいな 無条件に愛らしい 生きてるだけでいいんだな

で、そんときわたしは思った

わたしは自分に期待しすぎかなって

わたしも所詮動物なのだし、この子犬ちゃんみたく起きて眠ってごはん食べてを繰り返して死んでもべつにいいんだよな べつにいい

「わたしはしゃべる犬です」、くらいに自分のことを考えておいたほうがいい気がする

 

人間を高く見積もりすぎている?

わたしはもしかして、「人間に対する欲求が高い」「人間に対する要求が多い」「人間を美化しすぎている」のではないか

しかし同時に、「だが「人間」とはかくあるべきものだ」「それに至らない人間が人間足らずなだけだ」という意識もある

これはわたしのプライドだな

このプライドというものがやっかいなのだよな

プライドなんか意味の前にはくそくらえだ、と思うと同時に、意味などなくていい、プライドという信念以上に大切なものがこの世に存在するのか、とも強く思う

一番大切なものってひとそれぞれだと思うけれど、わたしにとってのそれはなんなのだろう

わたしにとって大切なもの

文章 文字 ことば 文章をかくこと うつくしいもの ぬいぐるみたち 水色の家 妹と過ごす時間 家族 おばあちゃんち 思い出 記憶

どれも大切だけれどたいしたことない気もするな

 意味 意志 信念

くだらないよな

ねむっていたい あの夢と夢のあいだ さざなみのようなまどろみに飲み込まれるしゅんかんにずっと佇んでいたい

それはいい いい考えだ うん

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「人間関係」など存在しない

 昨夏、グループで作業をしていたとき、人は人をいともかんたんに使い捨てるよな、と思った

ただ、使い捨てる、という言い方は正確でなく、単に、使っている、というのが正解なのだ
にも関わらず無意識で使い「捨てる」という言葉が出てくるのは完全にわたしの思考回路の問題
ただ使っているだけなんだよな
ただ使っていて、人って普通そういうもので、人と人との関係ってつまりは様々なレベルでの使ったり使われたりのこと なのだ ろう

わたしはわたしの大義に100%わたしのリソースを「使」いたく、故に人に「遣」われれたくないという気持ちがあるのだとおもう
わたしが人を「つかう」ことに抵抗があるのもこのためではないか
人には人の大義があり人はそれを全うする義務じみた権利があるとどこかでおもっている

人は本来「使う」存在だとおもっている

わたしの中で生き物は「使われる」存在ではない
「使」は動詞、「遣」は名詞、というのが一般的な、辞書的な認識だが畢竟「使」は使役の使、「遣」は派遣の遣である
「使」は主の手によって成され、「遣」は主から手放される これは物理的にというよりは概念的に
そしてこの場合の主とは各々の大義=「よすが」のこと
わたしはよすがのためにこそ使われるべきだが翻ってよすが以外のために「つか」われるつもりはない

このふたつの「つかう」、「使う」と「遣う」は本質的には違う「つかう」であるが、わたしの脳としては同じところから出て行くエネルギーなので実質同じ「使う」(=消費)で、使われるとしてもわたしはそこに自分のリソースを割くという決断を自らの正義のため自らの意思で行っているため、消費に次ぐ消費で消耗そして疲弊する

わたしはわたしの奴隷であり、同時にわたしの主人である
他者は、ただ他者である

でも「人間」は、人「間」というほどであるし、関係性の生き物であって、関係性とは結局のところ、ある特異な例を除いては様々なレベルでの使用しあいのことに過ぎないのだろ
ということで、わたしにはきっと多くの人が「人でなし」に見えている 文字通り
そもそもがそういうことなのだ

結局わたしは「関係性」というものに対して完全に「それは、ない」と思っているくせに、「希望を捨ててはいけない」という自分自身の正義のために自らして首を絞めている気がする

ここで更に問題をややこしくしているのが、この「人は本来〜」の思想こそが、わたしがわたしである所以でもあり、わたしの最大の空洞でもある「人との関係性のなさ」による偏った形で既に完成されたものであるということ
この「よる」にしても、「因る」でもあり「依る」でもあり「寄る」でもあるのがわたしの言語の途方のなさのあらわれ(現・表・顕)にちがいない

その上その副産物として歪んだ「正解」が育っていて、けれども自分の中ではそれが正解であるので、正解にはもう従うしかない 120%

一種のテンプレとしての「ひとの気持ちの分からなさ」、自分と他者との間にある完全な断絶、その分かるわけないものを分かろうと、学習&考察&学習&考察を重ね、それでも埋まらない溝を超展開の理論で埋めた結果、現在の偏った正解コレクションが出来上がってしまっているというわけ

そしてこの文章に意味などないということ

 

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ネバーエンディングビーチ

 

先週末、森、道、市場にいってきた。
知り合いにお手伝いしないかと誘われ、たいして考えもなしに二つ返事で行く行く~と言ってしまった。
こういうのほんと10年ぶりくらい、日焼けが嫌すぎるがゆえにアウトドアも野外フェスもやめていたわたし。バーベキューすら行かないものな。
テント泊とかたぶん小学生のときに家族でキャンプに行った以来だとおもう。
 
会場は、愛知県蒲郡。海辺のまち。
のなかでもわたしがお手伝いさせてもらったスペースは一番はじっこ。つまりもうほとんど海。地面砂浜だよ。
 
三日間参加して、最終日は暴風雨がすごかった。レインコート着てたんだけどほぼいみなかった。
下着はなんとかレインコートのメイン部分に収まってくれてしっとり程度で済んだんだけど、着ていたTシャツもパーカーもズボンもかんぜんに搾れるくらいびっちょびちょ。
海辺の暴風やばい、しょうじきナメてました。
 
結局耐えかねて、帰りの予定をすこし早めて帰ってきた。
びしょ濡れで朦朧としながら電車待ちをしていたとき、三河大塚の駅で、おばあちゃんとおばあちゃんが話をしていた。どうやら地元の人らしい。
市民会館? のコンサートのチケットをもらったのでしゃあなし行った、行かないのは失礼だからいちおう行ったんだけど途中で出てきてもうたわウフフフみたいな話をしていた。
また、語尾にしきりに「じゃん」をつけていて、ああ、これがこのへんの方言なんだな、かわいいな~とおもっていた。
調べてみると、三河弁というらしい。たしかにこの駅は三河大塚だった。じゃんだらりん。聞いたことがあるなあ。
 
電車に乗ると、なんだかめちゃくちゃ空いていたのでがまんならず椅子と椅子のあいだで着替えてしまった。今冷静になってみるとやばいやつだな。
見つかってたら猥褻物陳列罪とかなんとかでたいほされてたのかな……みつかってなくてもアウトだったりするのかな。この日記はフィクションなのでゆるしてください。
 
今はとにかく疲労困憊で全身ガッタガタなんだけど、脚がとくにすごい。かかととふくらはぎと膝裏の筋がすごい。
ふだんどれだけ自分が運動不足なのか実感した。なんかこの半年分くらい歩いた気がする。


それにしても、NEVER ENDING BEACH、ネバーエンディングビーチ、終わりのない海辺。ネーミングさいこうだな。emoい。
 
そういえば、二日目の夜、へとへとになって海辺でぼうっとしていたら流れ星を見た。
23時くらいで、あたりにはほとんど人もいなくて、誰も騒いでなどいなかったのでもしや見間違いか? と一瞬思ったんだけど、あれはたしかに流れ星だった。
なんだかぜんぶが報われる思いだった。
 
わたし、なんとなく、もう「就職活動」はしないんだろうなと思っていた。
でも別に、会社に所属したくないというわけではない。その言葉はしっくりこない。
今回森道で、お手伝いさせてもらったチームとか、出店者のひとをぼ~っと見ていておもったのは、わたしは自分で自分の身を立てたいんだなということ。
なんかちゃんと生きてるよ~! 生活してるよ~! って噛み締めながら生活してゆきたいです。なにいってんだこいつ。はやめにちゃんとしろよ。

 

 

 

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