おやすみなさい

日記以上の意味も価値もない

もうどこにも行きたいところがない


学生時代はずっと女の子の話を書いていたようにおもう。それだけでなくて、私はずっと女の子たちが好きだった。必死でみじめでかわいそうな女の子たちが大好きだった。そういう女の子たちをずっと見ていたし、そういう女の子たちが一番魅力的だとおもっていたし、たぶん自分もどこかでそうだとおもっていたんだ。

 

でも今はふしぎとそういう気分にならない。いわゆる女の子の話? 書かないな。なんか書きたいなともあんまり思わないかも。もっと疲れた顔が見たい。

 

いつからか、自分はもう女の子じゃないんだなって思ってる。

単純に年齢とかそういうんじゃないよ、バンギャが自分をオバンギャと呼び始める瞬間とか、オタクが現場で自重しはじめる瞬間とか、そういう遊びとしての自虐というか自虐としての遊びでなくて、ただわたしが、もうわたしが女の子じゃないんだなって。事実として。

そもそもそういう女の子の話を好き好んで書いていた時期だって、わたしはもう23とかそんな歳で、大学生になったらもうオバンギャだし二十歳超えたらリボン編み込みのヘアメなんかしないし、それでも気持ちはずっと女の子だった。そういう世界観で、悲観的な意味合いでなく、実感として、すとんと落ちる現実として、ただ「わたしはもう女の子ではない」。

 

世界と馴染んできたというと耳障りはよいけど、たぶんそれはもうどこにも行きたい場所がないってこととも似ている。

 

 

 

f:id:mayonakanonami:20180912234136j:image

コミュニケーション

バスがおおきく曲がり、沓掛口に差し掛かった瞬間景色が変わる。目に緑が飛び込んでくる。洛西ニュータウンに近づいている、いや、このあたりからもうそうなのだろうか。
私たちは、妙に木が多いことに気がつく。バスが道を進むにつれ、ますます確信する。木が多い。計画的に、均等に植樹された木がうつくしく列を成している。電柱が地下に埋められていて、視界をじゃまするものがないからかもしれない。
空が広い。広い空のしたに規則正しく団地が群をなしていて、広い道路の脇にはこれまた規則正しく木が並んでいる。
風に揺れる濃い緑。

ラクセーヌに足を踏み入れて最初に気づくのは、異様と言って差し支えない老人率だ。
入り口入ってすぐのフードコートのほとんどは老人に占拠されている。
やたらと元気な老人たち。トランプを持ち寄り、何時間も七並べをしているおばあちゃんたち。缶ビールを持ち込んで昼間から酒盛りしているおじいちゃんたち。
館内では、杖とキャリーがセットの老夫婦もよく見かける。ベンチで眠っている老人も少なくない。
中年の被介助者と高齢の介助者(親?)の二人連れも目立つ。
電動車椅子で颯爽と移動する老人の姿は一時間いれば三人ほどは見かける。

夕方になると、急に子供の姿が増える。
その多くは小学校高学年から中学生くらいの年齢で、おそらく学校帰りなのだろう、5、6人の群れをなしている。
自撮りをする女子中学生たち、カードバトルをする男子中学生たち。
母親に買ってもらった、どこか似たテイストの服を着た男子小学生たち。
中には学校帰りの息子と待ち合わせをする親子の姿も見られた。

二階はいつも、がらんとしている。どうやら、おじいちゃんおばあちゃんの中でも二階に登る体力(あるいは気力)のない人も多いらしく、一気に人口密度が減る。少し安心するほど。
そう、不思議なことに、平日昼間のラクセーヌは別に閑散としているわけではない。むしろ賑わっている。主に高齢層で。

ダイソーは、20年前のダイソーの雰囲気がある。
おそらく建設当初から変わっていないセンス。建物全体がそんな感じなのだ。
精気を吸い取られる気がするな。
こんなときばかりは、幼い子供を見ると安心する。
洛西ニュータウン全体の随所から、こういう、若い親子を大切にしようとしている姿勢が伝わってくる。
センターコートの積み木広場。
「つみき広場は小学生以上の立ち入りを禁止致します。幼児のための遊び場です。保護者の方もつみき広場の外から見守ってください。」
黄色い背景に、様々なフォント、フォントサイズ、赤、紺、黒のカラーを使って書かれた凶悪な注意書き。その下には水色背景で黒文字の「ラクセーヌからのおねがい」。さらに下にはピンク背景の「ダイソー前にもつみき広場を常設いたしました。どうぞ2Fもご利用ください。」
統一感とは? 目がチカチカする。ここは地獄か。
牛のぬいぐるみを持ち上げる男の子に「ひとりじめしたらあかん」と注意するのはおそらく70代の男性。ラクセーヌの職員なのだろうか、胸元に名札を下げている。
CDショップの入り口に大きく掲げられているのは演歌歌手のポスターばかり。

おもちゃ屋だったそこ(今も一応おもちゃ屋なのだろうか)は、今はちょこちょことおもちゃが置いてある程度で、今はほとんどゲームコーナーになっている。ガチャガチャとUFOキャッチャー、プリクラ機がいくつかあるが、それよりも「つえ」「シルバーカー」の取り扱いが目立つ。いったいなんなんだここは。カオスが過ぎる。
ここが、ラクセーヌのありかたの権化に感じる。ちょっとしっかりして……いや、わたしが言うことでもないか、だってこんなにも賑わっているんだから。20年後はどうか分からないけど。

ラクセーヌを出ると、なぜかどっと疲れていた。
もう一度入り口の前に立って、夜になって光り始めたラクセーヌの写真を撮る。
来たときも思ったのだが、小畑川が近いからか、ここに立つとめちゃくちゃ蚊に刺される。かんべんしてくれと思いながら、半泣きでバスに乗って帰った。
夜のバスって好きだな。窓が大きいから外の暗闇がよく見えて、「降車」の赤いボタンが光るときれいで、外の車のライトもぴかぴか光っていて。びゅんびゅん流れていく車、BGMをつけたくなる。夜のバスはイヤフォンがよく似合う。誰とも喋る必要がなくて安心する。もっとも、あれだけ人がいてもラクセーヌにいる間もわたしは一言も言葉を発さなかった。夜のバスから見る景色ってなぜか冷たそうに見えて好き。偽物みたいにぜんぶつるつるしていて、触れられそうで触れられない。家に帰る。

 

 

 

f:id:mayonakanonami:20180829173002j:plain

 

つよくなりたい

日曜日。天気がよいので洗濯をしようとしたら、漂白剤を切らしていた。
漂白剤を買うために服を着替え、からだじゅうに日焼け止めを塗って出かける。日差しがきつい。夏だな。
薬局はいつも涼しい。
薬局でいつもの漂白剤を買って外にでる。そういえばこのへんにユニクロがあるのだった。入ったことないなあと思い立ちなんとなく入ってみると、日曜日のユニクロは家族連れでいっぱいだった。
ひととおりぐるっと回って、欲しいものはなかったが、せっかく来たのだからとインナーを一枚手に取った。


27にもなって、いまだに生活というものがわからない。
いや、わかる、皆そんなに生活というものがなにかなんてわかっちゃいないということは。それでもなぜ、なぜわたしはこうも「生活がわからない」などと考えているのか。ほんとうにしょっちゅう、「わからない」と思う。生活がわからない。


800円のインナー一枚持って、レジに並ぶ。
あきらかにフランスっぽい印象の方のレジに案内され、会計をしてもらう。
日本語がすごく流暢で感心してしまう。そしてめちゃくちゃにていねい。
見た目はめちゃくちゃフランス人(印象)でもそりゃ生まれてこのかた日本語しか喋ったことない人もいるだろうし、見た目じゃわからないのは百も承知なのだけど、イントネーションの具合からどうもそういうわけでもなさそう、それにしてもずいぶんと長い時間を日本で過ごしているのだろうな、と思う話しぶりだった。
ふと名札を見ると日本人の名字が刻まれている。勝手に、日本人と結婚したのかな、と結論づける。
生活してんだな、とおもう。国道沿いのユニクロ、日曜まっ昼間のユニクロ、この空間にいるすべてのひとが生活を営んでいる。もちろんわたしも。
それなのになぜこんなにも「わからない」のか。わからないなどと考えるのか?
衣食住、そのすべてがしっくりとこない。何着てもコスプレだし、食事はエサだし、家は仮住まいに過ぎない。
すべて信用ならない。服は布を合わせたに過ぎないし食べ物はかつて生きていた他者だし家と外の境目はドア一枚しかない。
ひとがそれをどうしてそんなにも信頼できているのかが分からない。


つよくなりたいな、とちかごろ思う。
これはずっと思っていたことで、でもきちんと認識できていなかったように思う。
それは、心をつよく、という意味でなく、ましてやほんとうのつよさ、とかでもなく、単純に、物質として、刃物としてよく切れるもの、鈍器としてより重く、より痛く殺せるものでありたいと思う。
そうすればわたしはその本質をしっかりと隠して、いつでもお前を殺す、と思いながらニコニコ笑顔で本当の意味でひとにやさしく生活できる気がする。
強度がたりない。練度がたりない。もっとつよくなりたい。



友人と夏

友人Yが来ていた日記。

なんだか毎年年末と夏あたりに京都で会っている気がする。 ということで今年も夏がはじまる。

f:id:mayonakanonami:20180618030551j:image

 

7日(木)

彼女と、共通の友人Sと、三人で夕方6時半頃木屋町で待ち合わせ。雨の予感がつよい。元立誠小のあたりを歩いている時点でぽつりぽつりと雨が降ってくる。カウンターのみの小さな串カツやに入り、飲み、食べまくる。とうもろこしの揚げたやつがおいしい。とうもろこしってのはなんでこう、茹でただけでもおいしいし、天ぷらもおいしいし、串カツにしてもおいしいのか。甘いよね。

三人とも大学時代の同期なのだが、会うとなんだか昔の話ばかりしている気がする。しかも毎回同じ話をしてんだ。おかしいよな。昔の話か男の話ばかり、あとたまに仕事の話もして、なんだこのトークテーマ、と思ったのだが、人生まわりというものが結局そんな事象ばかりなのでしかたがない。花の話なんかしないし、夢の話をするようなタイプでもなし、共通の趣味があるわけでもない。それでも一緒にいるのだから、生活のなんでもない話をして、それがたまたま昔の話、男の話、あと仕事、てな具合なのだな。そう考えると悪くない。ぜんぜんいい。

Sとは数ヶ月前に会ったばかりだったのだが、彼女、ここ数年は宝塚にはまっていて、会うたびに化粧が濃くなってゆく気がする。

Yは大学に入学して初めて会ったときには「ギャルだ!」という印象だったが、今はあまりそうは思わない。カジュアルになったのか。化粧も薄くなった気がする。去年あたり、つけまつげを辞めたと言っていた気がする。カラコンはまだ辞めていない。わたしも未だにたまにカラコンはする。つけまつげは21で辞めた。

そのあと二軒ハシゴして、3時ごろ帰宅する。最後の方はセックスの話ばかりしていた気がするのだが、ちかごろのわたしにはそんなに話題がない。去年は二人とも彼氏がいなかったが、今年のYには彼氏がいた。ところが「彼氏のこと好きじゃない」と言っている。「好きな人とは連絡とれない」。Yは誰かを好きになり、付き合うたびにこの蛙化現象をくりかえしている。難儀だなあ。分かるけどさ。
Yは昔から男の子の話ばかりしていて、膨大な数の名前が出てくるのでわたしはそのほとんどを覚えていない。なんとなくふんふん言って聞いているしエピソード単位では覚えていたりもするが、おそらく把握しているのは片手で収まるほどの数だけだ。

わたしは自分の話をするのが好きでないので昔付き合っていた人の話や自分の経験の話はほとんどしないのだが、Yはそんなのお構いなしに自分の話をするし、何年もそんな調子だとわたしもなんだかどうでもよくなってきて、次第にお返しとばかりにあれこれ話すようになってきた。わたしのこれまでの男性遍歴を知っているのはYだけなのだと思う。ときどきわたしも覚えていないような話題を掘り出してきておどろく。
Yと結婚したらぜったい幸せになれるよ。こんなに明るくて楽しくてユーモアもある子を他にしらない。仕事もちゃんとするし気遣いもできるし。おうちもお金持ちだよ。あとかわいいしね。

明日起きられたら岩盤浴に行こうと約束して就寝。

 

8日(金)

20回くらいアラームを鳴らして昼過ぎにようやく目を覚ます。昨日結構酒を飲んだ気がするのだが、思いの外二日酔いでない。わりと元気。いける。

ラーメン食べよう、という話になり、せっかくだからと一乗寺の方までゆくことに。すっぴんにブラトップのキャミとワンピース一枚だけ着て、Yの車に乗って向かう。Yは運転が上手だ。いつも京都へは車でやってくる。

一乗寺は思いの外遠かった。学生時代はいつでも来られたはずなのに、ほとんどラーメンを食べに来た記憶がない。一乗寺に来るときはだいたい恵文社へ来るときだった。そういえば恵文社を教えてくれたのは大学に入ってはじめて付き合った人だった。一つ年上の先輩で、部屋が暗くて料理の上手な人だった。わたしは一度も彼に料理を作ったことがなかったが、彼はわたしが彼の家に訪れるたびに料理を作ってもてなしてくれた。わたしは彼の作るオムライスが好きだった。
オムライスが好き、と気付いたのはそのときだったように思う。何が好き? 何が食べたい? と聞かれて、わたしはそんなものちっとも思いつかなかったので、てきとうに、この人でも作れそうで、割とお手軽っぽいもの(今思うとオムライスってけっこうめんどうなのだけど)ということでオムライス、と言ったのだった。
ところが口に出してみると、それが思いの外しっくりとくる。オムライスが好き。そういえば、わたしはオムライスが好きだった。あとナポリタン。休みの日のお昼ご飯で、オムライスやナポリタンが出てくるとうれしかったなあ。ケチャップが好きなのか?
彼はいつも手料理と合わせて、わたしが好きだった杏露酒を用意してくれていた。はたちになったばかりのころのわたしは杏露酒ばかり飲んでいた。甘い味が好きなのだが、居酒屋にあるような甘いお酒はアルコール度数が低くちっとも酔えないので、果実酒をロックでがばがば飲むことで酔いを得ていたのだった。
「酒代のかかる彼女やなあ」と言っていた。一年ほど付き合って、なんやかんや言って別れてしまったのだが、彼の香水はいまだに覚えている。変な別れ方をしたのでそれから一度も話せずじまいだった。

極鶏へ向かう。いつもはめちゃくちゃ混んでいるのになぜかすんなり入れてしまった。ラーメンとたまごかけごはんのセットを注文するも、予想以上にお腹いっぱいになり終盤二人とも無言で食べる。

ぽつらぽつらと雨が降っている中、スーパー銭湯へ向かう。スーパー銭湯へ着くともう4時前になっていた。

岩盤浴、好きなのかもしれない、と行くたびに思う。いつか妹とスーパー銭湯に来たい。妹と岩盤浴に入り、妹と風呂に入り、上がったら隣で髪を乾かして、すっぴんのまま自販機で買ったジュースを飲みたい。帰ったらそのままだるい体を抱えてひと眠りしてたい。

お互いに9時ごろから予定があったため7時には出ることに。YがオロナミンCをおごってくれた。窓の外では雨が鳴っている。Yはブラックコーヒーを買ったつもりが微糖だったらしく、これは明日の朝飲む、と言っていた。

帰り道、車に乗っているうちにどんどん雨が強まってくる。家に着く頃には土砂降りになっていた。
Yは遊びに出て、わたしはバイトへ向かう。

 

9日(土)

Yは早起きして友人の結婚式へ。わたしは二度寝する。だるい。

起きて冷蔵庫を見ると微糖のコーヒーが入ったままだ。

Yは午前4時ごろ帰宅。カラオケをはしごしていたのだそう。元気だな。知り合いから二度着信が入っていたが知らないふりをする。わたしは1日寝通しだった。

 

10日(日)

昼過ぎに目覚め、Yは学生時代の友人Aとランチへ行った。わたしは洗濯をする。

洗濯機を回しながら携帯ゲーム周回。つかの間の日常という感じ。

夕方ごろ、YAからラーメン食べよ、とお誘いがあり、かんたんに身支度をして外に出る。もともとはランチにも誘われていて、断ったのに、結局一緒に食べることになる。
去年と同じ、Yが学生時代働いていたラーメン屋さんの、今年は本店に行った。Yは「今日のはおいしい」と言っていた。にんにくを潰して入れて、酢を入れて食べるとめちゃくちゃおいしい。去年Yに教えてもらったこと。
Aは赤ん坊を連れていた。わたしはほとんど赤ん坊に触れ合ったことがなくどうすればよいのか分からない。触れていいものかすら分からない。ところがYはかんたんに赤ん坊に馴染む。そういうところがYのすごいところだと思う。
大学を出てわたしは大学院に進学し、Yはもうちょっと京都で遊びたいからと保育系の短大に再入学した。Yはきちんと2年でそこを卒業し、それからは実家に戻ってきちんと保育系の施設に勤めている。

帰宅して二人ばらばらにテレビを見たり漫画を読んだりして、そのうち眠った。この日も雨が降っていた。洗濯物は干しっぱなし。

 

翌日の昼ごろ、Yはすっぴんのまま帰って行った。靴を四足も持ってきたのに結局二足しか履かなかった、と言っていた。いつものように、ごろごろとたくさんお土産をくれる。ひつまぶしのお茶漬け、味噌煮込みうどんのレトルト、あとなんかおいしいデニッシュパン。

Yと過ごしていると、いつも永遠に夏休みみたいな気分になる。Yが来るときはいつも湿度が高い。Yが帰り、ひと眠りすると、現実が帰ってくる。

わたしはシャワーを浴びて、化粧をして、いつものように家を出た。雨は降っていない。

 

▼去年のYが来た日記

mayonakanonami.hateblo.jp

 

真顔の私

 

なんでわたしは真顔なんだ? そうなんです、わたしって真顔の人種なんですよ。うちのお母さんだいぶ善良で、そんなこと言うかな? ってかんじなんですけど、それでも幼稚園児の時分に「ほんとかわいくない」って言われた記憶があるくらい素真顔なんです。素真顔。ただの真顔より本質的にもっと真顔なやつ。わかる?

今は人並みに笑ったりするけど、それでもヤッパ根っこが真顔だから、根っこでは基本的に真顔で「ハ?」とか「で?」とか考えちゃう。悪いけど。

いやぜったいそんなこと口にせんよ? いつもニコニコしてやさしくてホント何言っても笑うね〜たのしそうでいいね〜っていうのがわたしのキャラなので(この一文は放置したいので句点つけないことにします)

 

他人に対する殺意の波動がつよいんだ。べつに殺してえ〜とかおもってるわけじゃないのは言っておきたいんですけど、「おまえ??? おお???」っておもってるときの気持ちが鈍器なの。

関係あるのかないのかわかんないけど、と言いながら自分ではぜったいあるなとおもってるんですけど、わたしが描く絵もわりと真顔です。真顔で不遜な顔が好きなんです。そういう顔にリアリティをかんじる性質ってこと? わたしが真顔だから。単純かよ。

f:id:mayonakanonami:20140921173311j:plain

 

わたしは第四の壁を壊されるのがだいきらいです。芝居の客席いじりとか舞台に客上げるのとかフラッシュモブとか。

これなんだろ、なんでなんだろって考えてたんですけど、ひとまずの答えがでました、これ、

お前のプレイに巻き込むな感

お前のプレイに巻き込むな感

そう。それ。

わたしをお前のモブにするなよって。人権を侵害されているかんじがつよいんですよね。

 

グループラインの退室芸とかまじ茶番なんですわ。なんで真顔で茶番を演じられるのだろうか。それわたしもほしいよそのハート。その鈍くささと自分が自分の世界の主人公であるという根拠のない圧倒的自信があれば人生ってけっこうたのしいだろうな。

そんでグループラインの退室芸、まじめにとりあってるのたぶんわたしだけでしょこれ。みんな「ウケる(笑)」とか言いながら適当に遠巻きに見てるんだけど、わたしは「ウケる(笑)」と口で言いながら心のなかで憤怒してるから。「全然ウケない(怒) ただただウザい(怒)」。余裕なさすぎん? なにこれわたしの心狭小住宅…? うさぎ小屋? 自分で言っててアホらしくなってきた。ウケる。ぶんしょうにするのってたいせつだね。おうち帰ろ。

 

 

f:id:mayonakanonami:20140921173311j:plain

 

姉と妹

 

 

 

ちかごろ知り合いの娘さんたちと関わることが多くある。

彼女らは小学生の四年生と二年生の二人姉妹だ。

この姉妹、両方とても人懐っこく、愛嬌もあってかわいらしく、しかも賢い。人をよく見ている。名前もすぐに覚えるし、その人それぞれの癖なんかもよく覚えていて、それで一笑い取れてしまう。すごい。

 

ふだんは二人してキャッキャとじゃれあっているが、よくよく見ると妹のほうが自由で姉が少し配慮しているように見える。

私はどうしても姉に感情移入してしまう。

年齢も違うのだから当たり前かもしれないが、それでも私にはお姉ちゃんの気持ちがよく分かる。

自分が気に入っている、仲良くしている人を妹に横取りされるのが一番嫌だったり、気ままに振る舞う妹が羨ましくてちょっと妬ましかったり。

気にしないようにしているけれど、絵画や書道、作文なんかの表彰が多いのを妹が自慢してくると妙に癪だったり。

ぜんぶ私に覚えのあることだ。だからこれは私の話だ。

 

二人きりでこっそりと話しているとき、お姉ちゃんがぽつりと話してくれたことがある。

昔、お母さんと妹と三人でショッピングモールへ買い物へ出かけたとき、お母さんに「ここで二人でちょっと待っていてね」と言われたのに、妹は勝手にどこかへ行こうとする。

妹は一度迷子になったことがあって、こんな大きなところで放っておいたら確実に迷子になってしまうだろう。

でも自分が今ここで妹を追うと、お母さんからの言いつけを破ることになる。自分も一緒に迷子になるかもしれない。

大声で妹の名前を呼ぶけれど、妹は気にもかけずに進んでいってしまう。そのうち姿を見失う。

焦りと不安で涙が出そう。

そのうちお母さんが戻ってきて、妹はどこへ行ったのかと問う。そんなことは私が知りたい。私だって知らない。

不安で心配で、でも必死で涙をこらえて母とようやっと妹を見つけてみると、妹はけろっとした顔で笑っている。母は怒っている。なぜだか私が泣けてきた。自責の念と安堵感で涙が出る。

なんでだろ? って笑って言っていたけれど、胸が締め付けられる思いだった。

わかる、わかるよ。妹って勝手だよね。お姉ちゃんってしんどいよね。

私も何度もこんな経験をしてきたように思う。

世の中の姉全員がこんな思いをしているのだったら、私は姉妹の姉がいじらしくて愛おしくてしかたない。

 

自分が大人と呼ばれる年齢に至って、子供と呼ばれる年齢の女の子と話していて気づく。小学四年生ってこんなに子供なんだな。

私はその頃にはもうすっかり大人になった気でいた。でもこんなに子供だったんだ。

もっとすなおになんでも言えばよかった。ゆるされたのに。

今もきっとそういうことを繰り返している。いつだって今が一番若いのにな。

 

 

f:id:mayonakanonami:20180602160736j:image

本屋の彼女のこと


近所の本屋に、学生時代同じバイト先にいた女の子が働いている。

私が大学三回生から院を修了するまで三年間働いていたバーで、彼女も同じ時期から二年間ほどそこで働いていた。

彼女はわたしより二つか三つ年上で、でもそれ以上に大人びて見えた。フリーター、という響きが似合わない女性だった。

彼女は声がきれいで、発声がしなやかで、言葉遣いもていねい且つ美しく、肌がとても白い。

その異様に白い肌に、明るい金髪のワンレンボブがよく似合っていた。

ある日彼女は金髪だった髪を真っ黒に染めて、念願だった本屋でバイトを始めることになったと言った。

それからシフトが減りはじめ、しばらくして彼女はバーを辞めた。

いつものように送別会をして、しこたま飲んで、またね、と別れてそれきりだった。

そういえば、と思ったのは、私が就職をして一人暮らしを始めたときだった。

駅前の本屋、たしかここが彼女が働いていた本屋だった。何度か足を運んでいるうちに彼女を見かけ、まだここで働いているということがわかった。声をかけることはなかったが、その本屋へ行くたびに、ああ今日はいないなとか、今日はいるとか、そんなことを思っていた。

気づいたらそれから三年が経っていた。

彼女はまだその本屋で働いている。声を聞くとすぐに分かる。今日も、私が立ち読みをしている棚の向こう側で「これ、ノンフィクションの棚の補充でいいんですよね」みたいなことを言っていた。

彼女はおそらくわたしの存在に気づいていない。わたしのことを覚えているかも微妙だし、覚えていたとして、しょっちゅう本屋に来ているとは思わないだろうし、こんなに近所に住んでいるとも思っていないだろうな。

本屋に行くときはたいがいすっぴんで部屋着みたいなかっこうで行くので、気付かれないほうがうれしいんだけれど、たまに、こっそり声をかけてみたらどんな反応をするんだろうと考えることがある。あ、今声かけてみようかな、なんて思うこともある。

わたしはたぶんもうすぐこの駅を離れるので、彼女と相対することはもう二度とないんだろうな。そう思うとすこしさみしい。

だいたいさよならというものはいつも突然で、それきりのものだけれど、わたしはずっと、あのときのさよならの余韻をジワジワと味わっていたのだなと思った。

 

 

f:id:mayonakanonami:20140510143639j:plain