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おやすみなさい

報告は以上です

生きても生きても憎しみばかり募ってゆくのです

 

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感謝や幸せ、思いやりややさしさを積み重ねることができない。かわいそう。

うつくしい瞬間もある。

夏の日の木々の青々したきらめきや冬の一面の白銀世界に心躍ったり、他人の体温の心地よさにやはり他人は必要だ、こうしているのがいちばん幸せなんだ、と思ったり、ぼろ雑巾みたいな気分になっていたときのサプライズ誕生日パーティに本気で涙したり、そんな日もある。

そんな日は生きているって素晴らしいね、なにもかもが美しいしなにもかもが尊い、と思う。

けれどもやさしい気持やうれしい気持はわたしの怒りや憎しみに比べるとうっすいうっすいもののようで、慣れ親しんだ沼にわたしはすぐに戻りたがる。

そうすると、やっぱりああいうのってきらきらした夢みたいで現実味がないし、わたしはこうして私以外のすべてを呪っているほうがお似合いで居心地がよい、と思う。濃さが違うって思っちゃう。

なにもかも等価値に思うわたしの頭の悪い天秤が、どちらにもかんたんにゆらゆらして、わたしは結局どこにも居ないのだった。

平坦な戦場生まれ平坦な戦場育ち。なんてことはない、とってもふつうでカワイイ(失笑)わたしちゃん。

 

ところで、今わたしは感動的な夢を見て気分がよく、別になにかを呪ったり憎んだりしていないので、こんなことを書きながら、フウンいつもそうだよね、って他人事みたいに思っている。

見た夢の内容はまったく思い出せないのだけど、夢の中で号泣しながら目が覚めたのでなんだかすっきりしている。

この感動的な夢を見た、というのはもう4日ほど前のことなのだけど、それから夢見よく、なんかイイカンジ(詳しくは覚えていないのでニュアンスのみ)の夢ばかり見ているので気分がいい。やっぱり夢の中がいちばんいい。現実のほうが自由で現実のほうが実感もあるはずなのだけど、どうしてだか夢の中のほうにリアリティを感じる。

余談だけど夢の中で涙して、実際に目覚めて涙が流れているときと涙だけは流れていないのだけど実際に泣いているときの現象が体に起こっているときがあるよね。なんなのかねあの違いは。

 

 

8月に入って、夏休みになった。

小学生じゃないんだから、夏休みになったからってなにか起こるわけでもなく、バイトと制作、という日常は何も変わらない。んだけどやっぱり夏休みだー! ワーイ! って気持がどこかにあるよね。誘ってくれてるのに時間がないって放置していた人たちとの予定をこの際一気に消化してしまえと思って8月はバイトを減らしました。

3年前くらいに知り合って、それからずっと飲みに行こう飲みに行こうって誘ってくれる人がいて、1年に一度根負けして飲みに行っている。で、次の日からまた誘ってくれる。

わたしはめったにLINEを返さないのだけど返すとすぐに返信が来る。というか返さなくてもどんどん来る。この人はいったいなんなの? なんでこんなに断り続けているのに根気よく誘い続けることができるの? と心の底からふしぎなんです。狂気すら感じるんです。

だって、飲みにいくだけだよ。セックスできるわけでもなし、話がおもしろいわけでもなし。わたしと会ってご飯食べてお金払ってお酒飲んでお金払ってさよならする。この過程になぜそこまでの情熱をかけられるのか。

わたしは、大きなマイナスがあるわけでもないし(時間がもったいない、というマイナスが気がかりで一年に一度なわけだけど)、おいしいご飯やお酒が無料で味わえ、ちやほやされ、なんかおもしろいことがあるかもしれない、というプラス点があるから、じゃあ行こうかな、と思える。

なんていうか単純にすごい。多くの人は、五回も断るとぜんぜん誘ってくれなくなる。それが当然だと思うよ、わたしは断られることがこわくて1回すら誘えないし。
これまでの人生でわたしが人を誘ったのは五人くらいだと思う。

一番初めに人を遊びに誘った幼稚園の頃のことは今でも覚えている。みんななんでそんなに「遊ぼう~」ってかんたんに言えるんだろう? と思っていた。断られると全自分が否定される気分になるだろうと恐れていたし、実際にそうなのだと思う。

断るような人誘ったことないから私は未だに断られ童貞。だって傷つくのこわいもん。無駄傷つきしたくないもん。

「○○ちゃん、遊ぼう」って言うだけなのにものすごく緊張したし汗かいた。

そんなリスクを背負ってなおわたしを誘ってくれることをわたしはとても嬉しく思う。嬉しく思うだけで慮ったりはしないけど。

今年もそろそろその人と飲みに行く季節だと思う。根負けして、まあ何かおもしろいことあるかもしれないし、なんて思って飲みに行って、気を遣って、特に何も収穫なかったな、と思いながら帰ってくるという結果が目に見えているけれど、多分わたしは行く。

 

ものごとに対する打ち込み度というか、どれだけ没入するかの程度が違うのだろうなとは思う。きっと、人を誘うとか、誰かと会うとか、そんなのなんてことない、って人だってたくさんいるのだ。

わたしはなにもかもに全身全霊をかけてしまうから、片手間でとか、なんとなくという風には、うまくできない。

メールもそうだったけれど、LINEとか特に、そんなに考えるものじゃないらしいよね。でもわたしはものすごく考えてものすごく慎重になってしまうから、もう、そういうの、とってもめんどい、となる。メール返さないほうがよっぽど問題なのだけど、自分のなかで、おかしなメール、適当なメール送るくらいなら送らん! みたいな、おかしなことになっている。人と会うとなるともう大騒動。

軽くなりたい、ってよく思う。考え方とか、フットワークとか。体重もそうだけど。

 

バイトに行く際、駅からバイト先までの徒歩五分くらいの間に夏を感じる。

街中はアーケードになっている部分が多いけれど、駅から少しはアーケードもない。数分のために日傘を開き畳むのはめんどうなので、できるだけ顔を伏せて早足で歩く。

家から駅までは送り迎えしてもらっているし、学校へ行くにも学校の目の前までバスだから、それ以外ではなかなか日向を歩くこともない。ここ数年日常の中で日焼け止めを塗っていないし、日傘を差すのは主にホテルから出て駅まで帰るとき。それ以外は昼間の日向なんか歩かない。

暑いし汗かくのは嫌だけれど、夏になると少し気分が開放的になるきがして、ああ遊びまわりたいなあなんて毎年思う。