物語乞食ちゃん
さいきん街と資本主義と物語のことをよく考えていて、考えているのだけれど一月までにまとまるのか、間に合うのかよく分からない。間に合わなかったらとってもこまる。
さいきんバイト先でもわたしは卒業できないものとして扱われている。ふしぎだ!
ファッションが専門の男の子と話していたときに思い立って、ファストファッションってどうなの? と聞いてみたら、ファストファッションには物語がないからおもしろくないぜんぜんダメ、みたいなかんじだった。
たしかにね。思想やモチーフって物語の一環だし、ファッションに物語はつきものだ。
でもふと思った、物語をけんきゅうして物語をつくっているわたしが言ってしまうのもなんなのだけれど、物語ってそんなに必要か?
わたしだって物語大好き、何もかもに物語見出さなきゃやってけないたちなのだけれど、やはり物語をありがたがるのは「消費者」だ。
作家(あーてぃすと、くりえいたー、とか)はその物語を作っていかなきゃいけない。自分が物語にならなきゃいけないのでしょ。
つまりは生活スタイルの話なのだと思うけれど、誰かの物語を食って生きてゆくのか、物語を作りながら自らが物語となりながら生きてゆくのかってことだと思うの。で、断然わたしは物語をつくって生きてゆきたいよ。とおもう。
消費者目線というか、パッチワークみたいにして「っぽい」作品を作るタイプの作家も増えてきているよなという気はするけれど。きゃりーぱみゅぱみゅ系。
くりえいてぃぶな生き方、とかいう言葉聞くと意識高くてゲロ吐きそうになるけれどつまりはそういうことなのかしらとおもいました。
あと今考えるとその子は作家ではなく研究家、のほうだったのでそれはそれで正解だったのかもともおもいました。
研究家はよく食べるよね~なんでも食べるよね~。
わたしヴィヴィアンの服は好みでないので買わないのだけれど、小物や、特にアクセサリーを身につけているときは、「ヴィヴィアン好きな女の子の物語」を背負ってるな、とはっきり思う。ヴィヴィアンウエストウッドの物語、ではなく。それがうれしくておもしろくて付けているわけだけれど。
ヴィトンのモノグラム、とかいうのも、あれ明確にモノグラムの物語、というか、モノグラムの物語の物語の物語、あたりを背負ってますね。
着るものにはぜんぜんこだわりないのでフツウだったら結構なんでもいいんです。迷走しまくっていた時期もあるけれど、今となってはオシャレになりたい願望はまったくなく、ただふつうに、群衆に紛れられ、且つ自分が平常心でいられればじゅうぶん。奇抜なデザインのものとか買わなくなった。
でも当然フツウというのもなかなかむずかしくて、このあいだフツウにフツウのグレーのハイネックニットを探していて、一日かけてファッションビル二棟まるまる見てほぼすべてのグレー・ハイネックを試着したのだけれどぴんと来るものがなく、もういいやしかたない考えるのしんどい、と惰性で購入した次の日、ユニクロで試着したグレーのそれが一番いい気がして心底がっくりくる、ということがあった。昨日のもやもや一枚でユニクロのこれ何枚買えるの? とおもってぞっとした。もう服全部ユニクロでいいんじゃないかとおもったよね。物語いらないからね。
今ほんとうに物語いらない人が買うべきブランドっていったい何なの? ファストファッションがちょうどいいかと思えば長持ちしないから意外とコスパ悪いよ、という側面もあるよね。無印良品? でもむじはむじのキャラがもう付いてしまっているしシルエットが好みじゃない。
日本人てほんとに物語好きだなとおもうの。
アニメとかマンガが盛んなのもこれと関係があるような気がしなくもない。
あと、オタクとファンの違いなのですけれど、その人そのものを求めるのがファンで、その人の物語を求めるのがオタクなのではないかといまのところ考えております。
わたし圧倒的にオタク気質ですね、アイドルグループの苦労物語とか大好物だし人を好きになるときもその人そのものというかその人の境遇とか思想とかイコール物語を好きになるかんじですね。