覚えることに必死で言葉を持てない
それじゃあおやすみまたあしたネ
学校をでた。
家もでた。
たくさんの人にメールを返していない。
お礼を言いたい人がたくさんいるけれどその動作がめんどうくさい。
卒業式はちっとも泣けなかった。
卒業する感慨なんてどこにもなく、ただ、ああこれからも制作をつづけよう、と思うばかりだった。
式の後飲みに行くことにしたが、待ち合わせの時刻まで時間があったので、ただなんとなく、ふらっと、学部時代の研究室に立ち寄ってみた。学部時代にとてもお世話になった先生にお礼でも言おうかな、と軽く思った。
先生に会うのは、ほとんど2年ぶりだった。進学するまでさんざん面倒を見てもらって、けれど進学してからはちっとも研究室に寄りつかなかった。
先生の顔を見てひとこと喋ろうとすると、なぜだか涙がこぼれた。
いつも背中を押してくれたのはこの人だったかもしれない、と思った。会いにこなくてすみません、とも思った。
その人は演技の先生だった。
思い出したのは、面談のときのこと。
学部生時代は年に一度か二度、先生との面談があった。わたしはそれが嫌で嫌でしかたがなかった。
わたしはとても無口な学生だった。自分の考えていることなんて、自分のほんとうに思っていることなんて口にするもんか、できるもんか、と思っていた。
作品を作らなきゃ、そんなこと言う必要もなかった。てきとうににこにこ笑って、こいつらみんなバカ、と思っていればやっていけた。
けれど舞台を作ろうと思ったとき、集団で制作を行おうとしたとき、そんなことでは決して作品は成立しない。だからなにかにつけて、この学科では言葉にすること、それを口に出すことを強いられた。言語化しなさい。先生はよくそう言っていた。
演技の授業もそうだった。自分を開くこと。すなおになること。わたしの苦手なことばかりだった。
演技はウソ、フィクションなのだと思っていたけれど、演技はウソなんかじゃなかった。演技がウソじゃないのなら、舞台には真実が乗る。すばらしい発見だった。芸術はフィクションじゃない。芸術にはノンフィクション以上の真実が宿る。
面談の場でも、もちろんわたしは何も言えない。誤解されるのが怖い。バカだと思われるのが怖い。
面談では、自分が何をしたいのか、そのためになにをしてきたか、そして今後どうするのか、ということが問われる。
「言わなきゃ分かんないでしょ?」
分かってる。けれど言えない。
覚悟を決めて芸大に来たくせに、毎度毎度、面談の席で私は泣いた。作品を作りたい。戯曲を書きたい。演出をしたい。そう言うだけで、言おうとするだけで胸が苦しくて言葉が詰まった。言葉が喉につっかえて、でも気持らどんどん膨らんで、行き場を失った感情にぎゅうぎゅう押されて言葉の代わりに涙ばかり流した。
2回生の面談で、ばかみたいに泣きながら「物語をつくりたい」と言ってからは早かった。そこからすべてが回りだした。あのときあの一言を口にしていなかったら今のわたしはいないのだろうな。それはとても恐ろしいことだと思った。
すみません、なんか泣いてます、そう言いながら泣いて、そんな自分がおかしくて笑った。泣き笑いだった。結局わたしはなにも言うことができなかった。
わたし先生のおかげで変わりました。いつもきっかけをくれたのは先生でした。言えなかった。
他人の前でなんか泣いてたまるもんか。そんなふうに思っていたわたしが、もうどうしようもなくて泣き出したのも、そういえば大学に入ってからだった。悲しくて苦しくてもどかしくて泣いて、けれどいつも最後には泣き笑いだった。ありがとう、といつもすなおに思えた。
「まあまたゆっくりとご飯でもいこうよ」先生はそう言った。
けっきょく、ものになれば、このなかの誰にだって会える。先生にだって会えるし友人にも知人にも会える。わたしはこのまま死ぬつもりなんかさらさらないから、別にさよならだって思わなかった。
ただ、こつこつと、地道に、続けるほかないのだと思った。
一人暮らしはあんがいさみしくない。ただ淡々と時間はすぎてゆく。
ベッドを買ってふとんカバーを選び、カーテンを付けた。ラグも届いた。明日はテーブルが届く。
健康診断を受けた。視力検診があるのにコンタクトをつけ忘れていた。二日酔いでしんぱいだったのだけれど、それいがいは何も問題もなかった。生活はつづいてゆく。
さいきん
羊数える
墓穴掘り
■■ ■■先生
返信が遅れてしまって申し訳ございません。
ご連絡、ありがとうございます。
率直なご意見、また、とてもありがたいお言葉をいただけ、非常にうれしく思っています。
少々長くなってしまいますので、お時間のあるときにでもお付き合いください。
「■■■■■■■■■■■」という言葉に関しては、おっしゃられる通りだと感じます。しかしきらきら、という言葉の軽薄でチープな響きや、きらきら、という表現の「甘さ」、また、甘い、という言葉の持つ「甘美な」そして「厳格でない」という意味の二重性を考えると、現段階ではそれ以上にしっくりとくる表現が思いつきません。このあたりがまだまだ勉強不足であると感じます。もっと相応しく、また独創的な表現を追求してゆきたいと考えています。
また、つなぎの文章に関しましては、私自身少々捻りが足りないというか型にはまっているかなとも感じていました。
しかし、それはそれでいいのかもしれないとも思っていたのです。二、四、六のものは、特にそうです。
「■■■」では、「あのころ」、そして、あのころ、と口にするときの甘やかな郷愁のようなものを描きたいと思っていました。
そのため「■■■」でキーになっているのは「記憶」と「終わり」です。メインになっている三本の短編は、端的に言うと「記憶」と「その記憶の余韻」=「思い出」を描いたものでした。
一方二、四では、「記憶の終わり」を描きました。そこにはもう記憶の余韻すらなく、あのころへの郷愁もなければ、あのころと口に出すこともありません。そこには「思い出」、物語はもうありません。
ただ、六に関してはもっと作り込むことができたと感じています。
口頭試問の席で、先生方が、〇、一、九の語りはマクベスの三人の魔女のようだとおっしゃられました。たしかにその通りだとわたしにも感じられました。しかしわたしはそれをあえて、「亡霊」と呼びたく思います。
タイトルの「■■■」という言葉は、■■■■氏の作品「■■■■■■■■■」に登場する「■■■」という概念を引用しています。
「■■■■■■■■■■■」もまた、街と街に集う若者、そしてその時代を描いた作品でした。
■■■、一言でいうとそれは、「どこにもない理想郷」です。「欲望それそのもの」であるとも言えるかもしれません。
人生の中で誰しもが一度出会えて、そして必ず終わってゆくなぜだか無性に輝かしい時間、ひとはそれを「青春」と呼ぶのだと思いますが、その時間と、なにかを求めてひととき訪れ、そして必ず家に帰ってゆく「街」という場を掛け合わせました。
「■■■」では、スポコン漫画に出てくるような分かりやすい形ではないですが、たしかに青春を描いたのだと感じています。そしてその青春の時間を過ごす女性を、私は「女の子」と呼んでいます。だから「■■■」は女の子たちの物語であることは間違いありません。
女の子たちは、なぜでしょうか、皆自主的に女の子であることを「卒業」してゆくのです。「もういいとしだから」「いつまでもこんなことしてられない」。誰に言われたわけでもないのにそうして自らして女の子であることをやめてしまいます。それはさながら「女の子」の「自殺」です。
ものを書くという行為は、思い出や記憶をひとつひとつ埋葬してゆくことだと常々感じます。
埋葬したつもりになって、けれど成仏しきれないもの、それが亡霊です。
彼女たちもまた、女の子であった自分を殺しかりそめの大人の道をゆきます。
人(ここでは女の子、ですね)が街を欲するのは、街にはやはりそういった女の子をやめてしまった女の子たちの女の子の部分の亡霊がうようよしていて、それに感電するからなのではないかと私は感じるのです。
八において、お分かりかと思いますが、この語り手の女性は三の■■です。■■もまた、時を経て、青春時代とその郷愁を忘れかけています。
さきほど、二、四には思い出も物語もないと書きましたが、それでいいのです。それこそが、生きてゆくということ、暮らしてゆくということなのだとわたしは感じています。
わたしの制作テーマは「生活を続ける」です。「生活が続く」ではなく、続ける、のです。このお先真っ暗な世の中にあって、自ら暮らしを続けること、暫定的にその営みを選択することに価値があると感じています。
楽しかったことどころか悲しかったことすらも忘れてゆきなにもなかったことになってしまうのはどこかさみしいことに感じられますが、そうしてでもこれからを生きてゆくことが尊いのだと信じています。
思っていたよりずいぶん長くなってしまいました。
おっしゃられる通り、次は中編を書くつもりで準備を進めています。
また機会があれば、ぜひ読んでくださいね!
まだまだ寒い日が続きますので、風邪など召されぬようお気を付けくださいね。
それではまた。
■■ ■■
どん兵衛
おとついは学部の合評へ参加した。きんちょうしてでも作品をほめられたのでうれしかった。わたしは作品をほめられるのがいちばんうれしい。
うれしくなると肯定してしまう癖があってはずかしくおもった。自分の作品にかんしては自分が自分の意見を堂々と貫かなければとおもった。どうでもいいことではないとおもった。おもってばかりだった。
うれしくなったついでに、ほぼ初対面のひとたちのなか打ち上げまで参加してしまった。
参加したついでに先生方だけの二次会まで行ってしまい、そのうえ三次会にまで行ってしまった。
最終的に初対面の先生と口論して帰ってきた。
わたしの言っているわたしの持論はわたしにとって間違いがないはずなのだけれどプロの先生に言われるとしろうとのわたしはそりゃあ何も言えない。言えないはずなのに言い出してしまったものだから口論になった。よけいなこと言わんとはいは~いって言っておけばよかったと反省。
どうしても朝家に帰らなければならない予定があったので誰かの家に泊っちゃうとぜったいに起きれない! と感じて這うようにしてネカフェに行った。しぬるように眠った。始発の時間に起きて家に帰った。また寝た。かんぜんなる二日酔いだった。挟んでいないけれどもちろん何度か吐いた。わたしは吐くことに対する抵抗感がゼロどころかマイナスで、ちょっときもちわるいならとりあえず吐いとけってタイプなので速やかにトイレに行きすみやかに吐く。無音で素早く吐けいつも消臭スプレーとトイレそのあとにを持参しているのでセミプロだとおもう。すみません。
今日はてんらんかいのミーティングのため学校へきてだらだらミーティングをして研究費清算のための領収書整理をして正本と副本のあれこれをしておなかがすいてチョコレートを食べて手帳をバイト先にわすれて先の予定がまったくわからなくてなにもできないからはやく帰りたい。研究室がさむいからはやく帰りたい。でも帰るのめんどくさい。
余談だけれどちかごろポムプリ(※ポムポムプリン)飼いたさがすごい。ゆたんぽ代わりにおなかに入れたい。とおもったけどポムプリゴールデンレトリバーだからかなりでかいなと気付いた。つらい。
まるみえ感。
畏怖と完璧
わたしは幽霊やオバケを信じているわけではないけれど、こわい話を聞いてからおふろに入っているときや、夜中目覚めてトイレに行くときなんか、なんだか不意にこわくなるときがある。
そのときはもう、こわいしどうしようもないし、こわがっているほうが寄ってくると分かっているのにでもこわいしこわいのはしかたがないしどうしようもないし、でもこんなこと考えていると絶対寄ってくる、でもこわい、となって、結局だいたいは下品なことやエッチなことを考えてときをやり過ごす。なぜかオバケってそういうの嫌いなんじゃないかなって思っている。そう考えるとオバケって清潔だ。品もあるかもしれない。
あとになって考えてみると、オバケなんかを怖がっているときはへいわなのだ。空想と戦っているのだから。
人に言えないことをしたときや、後ろめたいことをしたとき、人の目を意識しながら、しかしオバケならぜんぜんどんと来い、と思う。オバケは人の目に入らないし、告げ口だってしない。
「結局一番怖いのは人間ですね」みたいなやっすい言葉があるけれども、それってけっこうまじだと思ったりもする。人の目はこわいな。実害あるものな。
そういえば昔は、オバケとだったら分かり合えるかも、なんて思っていたこともある。オバケ、出てきたら話しかけよう。と。オバケの孤独や怨念に共感していたのね。あのころ死んだら確実に化けて出ていたな。
でも今はおおむねへいわだから、オバケがこわい。なぜだか分からないけれどこわい、というか、なぜだか分からないからこわい。
結局モンスターというものは畏怖の心が住処なのだと感じる。
歳をとるにつれて、いろいろなものの裏が見えてくる。
知人の建てた家に足を踏み入れ、家ってそうか、人が手で作ったのか、木を削って何らかの素材で止めて屋根をのっけたのか、と改めて思う。
そうすると、人が手で作ったものなんかそう信用できるものではないのでは、という思いが頭をもたげる。これまであった家というもののたしかさが揺らぐ。
今住んでいる家は父が母と結婚して建てたもので、私は生まれたときからこの家で住んでいる。デザインなんかもずいぶんと凝って作ったのだと子供のころ父に何度も言われた気がする。
外観もなかなかかわいらしいのだが、個人的にいちばんお気に入りなのはお風呂だ。なんというか、緑だ。全体的に黄緑だ。壁も床も色味のちがう緑色のタイル張りになっていて、浴槽はエメラルドのような透明感のある黄緑色の石かなにかでできている。石の中にはラメが散っている。小物も黄緑で揃えてある。
子供の頃はこれが一般的なお風呂のデザインなのだと思っていたが、小学生のころにはもう、そうでもない、と気づいた。
そのうち、たぶんラブホテルのお風呂ってこんなかんじ、と思うようになった。実際にラブホテルに行くようになって、いや、以外とラブホのお風呂ってふつうなこと多いな、と気づいた。いまだに、うちのもの以上に黄緑でうちのもの以上にメルヘンチック? なお風呂は見たことがない。
母はキッチンが使いづらいと不満をもらしている。わたしは階段の角度が急だとおもう。
具体的に築何年なのかは知らないが、わたしが24歳なので、この家も少なくとも築24年なのだ。
築24年にもなると、少しずつガタが出てくる。外壁の塗料の色がが薄くなったり、壁がぽこんと膨らんだところがあったり。
それに加えて知人の建てた家、なんて見てしまうと、悲しいかな、わたしをありとあらゆる外敵から守ってくれるはずの家というものが、頑強なもの、けっして崩れないもの、ではなくなってしまった。
そんなふうにして、いろいろなものの作られかたやしくみ、壊れるようすを見ていると、完璧なものなんてほんとにないんだなあと感じる。でもわたしはそれを、それこそを知りたかったのだった。
どんな素材からどんなふうに成っていてどんなふうに壊れるのか。壊れるのか。それがまるっと分かってようやく安心できる。なにに関してもそうだ。人間にしても言葉にしても。わたしは世界に(社会に?)適応してきているのだと思う。
こどものころは、ありとあらゆるものが完璧だった。一分の隙もないまんまるで、付け入る隙がなかった。なにもかも恐れ多かった。
綻びが見えて、そこから侵入して内部を見て、わたしは初めて世界を笑え、世界と対等になれたのだと感じる。