イチゴのヘタについて
製本に関しての悩みが晴れてからというもの、家さがしのことばかり考えている。それまでも、一日に何時間もSUUMOやHOME'Sばかり見ていたのだが、この土日は起きているあいだじゅうほとんどをそうして過ごしたといっても過言ではない。いまやわたしのiPhoneに入っている部屋探しアプリは7つ、アプリのないサイトでもかたっぱしから検索をかけている。
薄給なのでしぜんと希望家賃も下がるのだが、希望家賃よりちょい出さないとやはり理想的なところには住めない。職場から乗り換えなし、フローリング、エアコン付き、バス・トイレ別、駅から徒歩10分以内、二階以上、20平米以上、都市ガス、1Rではなく1Kが必須条件。独立洗面台、分譲賃貸、7畳以上、オートロック、は希望条件。
こんな希望をだしている反面、いっぺんくらいぼろ家屋に住んでみたいなという気持ちもある。木造4畳半トイレ共有風呂なしみたいな。
住んでみたいな、というより、そういうところに住まなきゃいけないような境遇に立ってみたいな、ということだろうか。道楽でぼろ家屋に住んでいたって意味ないのだ。必死でないと。しかたなしでしかたなしの暮らしを送り、しかたなしの人生を送る。
ナメとるかな。現状わたしはけっこう生きることが嫌いじゃないのだと思う。なんかおもろい、と思うことがたくさんあるし。
にっちもさっちもいかないその日暮らし、のなかでしか得られないものってぜったいあって、わたしはそっちも欲しい、と思っている。よくばりだ。よくばりだわ傲慢だわたいへんだ。
「なんか、大きい建物好きだし」という理由で就職先を決め、「別に、一生ここで働こうと思ってないしいやになったら辞める」と思っていて、しかし「このわたしが、そう簡単に辞めるほど根性なしなわけあるか」とも思っていて、ほんと、なんつうかヤなかんじである。
しかしそれがわたしの生きるよすがだとも思っている。
そんなわたしも、四月からは諸々切羽つまって諸々かつかつの暮らしを送るかもしれないと思うといろいろな意味で心臓がドキドキする。
就職先も、新卒じゃなきゃこの仕事しないだろ、と思って選んだ節がある。二度とやりたくねえ、と思えて辞められたら御の字、意外な楽しさを見いだし他のことなんてどうでもよくなれれば御御御の字。
もしかすると、わたしは生きるのに向いているのかもしれない、とふと思う。よくばりだから。
妹は、なにもしたいことがない、と言って就職活動を嫌がっている。面接は緊張するしめんどうなこともあるけれど説明会なんかすごいおもしろいよ、いろいろ行ってみなよ、と言っても、いやだー興味ないーの一点張りである。そう言いながら新しいスーツを買っていた。
わたしはなんでもやってみたいので、なんにもしたいことがないならなんにもしなくていいじゃん、めっちゃうらやましいな、とチラと思った。やりたくなきゃやらなくていいし別の方法探せばいいのに。
わたしはほんとうはとてつもなくめんどくさがりで、なんにも、なんにもしたくないのだけれど、でも現段階ではなんにも(ごはん食べたり歩いたり笑ったり)しないで生きてゆけるわけではないし、わたしはとてつもなくめんどくさがりであると同時にとてつもなくもったいないオバケというか、せっかくなら精神が強すぎるわけで、どうせなにか、をするのなら、せっかくならアレやりたいね、てなことがたくさんあり、それはつまり全てが平等に低価値ということでもあるのだが、ともかく現状わたしはアレコレやりたいことがあってなおその全部が諦めきれないので、ほんきで、あああもう自分が30人いればいいのに! と思っている。30人いたら1人はなんにもやりたくないひとに充てたいし、1人はなんにもしないひとに充てたい。