行為と意味と目的その他
人の生活の中にはかならず体が覚えていることというか無意識の動作のみで成立していることがあって、その動作の手順を一つずつ踏んで行く儀式のなかで「は」とひらめくことがおおい、のだと思う、ひとは
散歩とか風呂とか、そういうぼうっとした瞬間
ハンドスピナーのごとく
私にとってそれはたぶんお風呂と化粧で、これらはどちらもかつていっしょうけんめい考えて覚えたものだけれど、今となってはほぼ無意識でできる、かたちでセットの記憶になっている
今の私にはこれがたりないのではないか
その動作の意味にのみ目がいってしまっていて、そのなかで生み出されるものに目を向けられていなかった
シャワー浴びるのはめんどいよね、化粧も。だって人と会う予定もなければ外に出るつもりもないんだもの
でもいざシャワー浴びてみると、そのシャワータイムのあいだ、わたしはものすごくいろいろ考えている
これはそうだ中学の部活のとき、アップで走っているときと同じだ。体育のマラソンと同じだ
わたしはいつもそのとき考えたことを忘れたくなくてメモを持ち歩いていた
さすがに走りながら書くことはできないから、木陰に、タオルとラケットとお茶と一緒にちいさなメモ帳をペンを置いていた
あのメモはいまどこいったんだろう
どうせたいしたこと書いてないんだけど
食事もそうなのかもしれない
その行為の意味や尊さはよおくわかるんだが、でも、時間かかるわお金かかるわその上空腹でもないわってなりゃどうしてその行為ができようか このわたしに
ひとと一緒にいると食事をとる とることになる 必然的に
外に出ると少しは腹が減る
おとといは焼肉を食べた
焼肉とは別に、マッコリに日本酒ジョバババっていうとんでもない酒を飲んでしまい、日本酒の苦手なわたしは即刻酔った
19時から3時まで飲んでいたのだが20時半くらいからの記憶がない
きのうは焼き鳥を食べた
案の定二日酔いで、食欲などどこにもない どこにも
でも食べねばならぬ 人といるのだから 夕食の約束をしたのだから
吐きながら食べた 鳥さんごめん
酒は飲んだ
しかしこれらの食事は生活ではない 食事であって食事でない。どちらかというと酒を飲んでいるし、そもそもそうでなく、これは食事という名の下に「誰か」との時間を作っているに過ぎない 双方
今日は半年ぶりくらいに米を炊いた
三合の白米 十六国米と、ばらばらと押麦を混ぜて
小分けにして冷凍しておく
ごはんおいしい 酔ったときにスーパーで衝動買いした高い梅干しがおいしい すっぱいやつ おおきくてすっぱい 塩分が高い 延々と種を口に含んでいられる
そして今日も一日が終わる
手元に何もない