本屋の彼女のこと
近所の本屋に、学生時代同じバイト先にいた女の子が働いている。
私が大学三回生から院を修了するまで三年間働いていたバーで、彼女も同じ時期から二年間ほどそこで働いていた。
彼女はわたしより二つか三つ年上で、でもそれ以上に大人びて見えた。フリーター、という響きが似合わない女性だった。
彼女は声がきれいで、発声がしなやかで、言葉遣いもていねい且つ美しく、肌がとても白い。
その異様に白い肌に、明るい金髪のワンレンボブがよく似合っていた。
ある日彼女は金髪だった髪を真っ黒に染めて、念願だった本屋でバイトを始めることになったと言った。
それからシフトが減りはじめ、しばらくして彼女はバーを辞めた。
いつものように送別会をして、しこたま飲んで、またね、と別れてそれきりだった。
そういえば、と思ったのは、私が就職をして一人暮らしを始めたときだった。
駅前の本屋、たしかここが彼女が働いていた本屋だった。何度か足を運んでいるうちに彼女を見かけ、まだここで働いているということがわかった。声をかけることはなかったが、その本屋へ行くたびに、ああ今日はいないなとか、今日はいるとか、そんなことを思っていた。
気づいたらそれから三年が経っていた。
彼女はまだその本屋で働いている。声を聞くとすぐに分かる。今日も、私が立ち読みをしている棚の向こう側で「これ、ノンフィクションの棚の補充でいいんですよね」みたいなことを言っていた。
彼女はおそらくわたしの存在に気づいていない。わたしのことを覚えているかも微妙だし、覚えていたとして、しょっちゅう本屋に来ているとは思わないだろうし、こんなに近所に住んでいるとも思っていないだろうな。
本屋に行くときはたいがいすっぴんで部屋着みたいなかっこうで行くので、気付かれないほうがうれしいんだけれど、たまに、こっそり声をかけてみたらどんな反応をするんだろうと考えることがある。あ、今声かけてみようかな、なんて思うこともある。
わたしはたぶんもうすぐこの駅を離れるので、彼女と相対することはもう二度とないんだろうな。そう思うとすこしさみしい。
だいたいさよならというものはいつも突然で、それきりのものだけれど、わたしはずっと、あのときのさよならの余韻をジワジワと味わっていたのだなと思った。